見出し画像

Kiyo to Kiyo クエスト 第6話 真実とは?

Kiyo to Kiyo クエスト 第6話 真実とは?
 
喜代と出会う前の僕は、自分が学んできたことや経験してきたことから得られた知識(世の中の仕組みや支配構造など)を伝えること、多くの人に知ってもらうことが正義だと思いこみ、ツイッターやSNSなどを使って情報発信していた。
 そして、その行動は喜代と出会ってからも続けていた。
 
今思えば、その頃の僕は、謎の使命感というか、自分を見失って盲目的になっていたような氣がする。
 そのことに喜代は氣づいていた。『自分を見失わないで!』、『自分をちゃんと持って! 自分軸を持って!』、『お外ばかり見ないで! 内を見て!』、チャットでもzoomでも何度となく繰り返し教えてくれていたけど、盲目になっていた僕には喜代の真意が届いていなかった。
 そればかりか、喜代に対抗したりマウントをとろうとしていたこともあった。喜代が『これ見てみて、参考にしてみて。』って教えてくれた情報や資料に対しても、僕は『これもあるよ』みたいな感じで、情報や資料をかぶせたりしてたこともあった。喜代を困らせていたことにも氣づかずに。
 
でも、喜代を受け入れてお手本としようと決めた時から、僕の中で少しずつ変化が起こってきた。
 競馬のことについても、そもそもの情報源は馬主や厩舎(調教師)、そして競馬ソフト販売会社の社長で、冷静に考えたら支配者側じゃないかということ。新聞や大手メディアが隠す情報やメディアのフェイク情報や支配構造についても、ネットやインフルエンサーと言われる人たちが発信する情報をネタ元にしているに過ぎず、その情報源さえも支配者側によって蒔かれた罠じゃないか? それをあたかも真実と思いこみ、妄信してたんじゃないか? それが真実とどうして言い切れるのか? 段々と疑問に思うようになってきた。
 
喜代はよく言っていた。『ネットも奴ら(支配者)がつくった』、『ツイッターもSNSも作ったのも管理・運営してるのも奴ら(支配者)』、『そこに奴らにとって都合の悪い真実を置くか?』、『ツイッターに愛を感じるか?』、『発信する側には責任がある』、など。
 今思えば、僕は“正義”とか“使命感”に酔い知れて盲目になっていたかもしれない。盲目になって自分を見失っていた氣がする。何度も喜代が繰り返し伝えてくれていたことの意味や重大さが、ようやくわかってきた。
 正義を振りかざしていたころの僕は、支配者にとって“都合のいい真実”だったことにも疑うことなく、『これこそが真実なんだから、ちゃんと聞け!』と言わんばかりに発信・拡散しまくっていた。謙虚さを失い、傲慢になっていた。そして、それこそが僕自身の存在意義のように勘違いもしていた。
 盲目的に情報発信していた時の僕は、『支配者にとって都合のいい人』であり、『支配者に踊らされ、計画を実行する工作員』になり兼ねない“あぶないこと”をしていたのかもしれない。
 
喜代はこうも言っていた。『真実はお外じゃなく内にあるよ。“本当の自分”を取り戻して! ちゃんと自分と繋がって! 宇宙創造の源の意識と繋がれば、感覚や直感で、何が真実で何が真実でないか見極められるようになるから』、『奴ら(支配者)に植えつけられた知識を手放して! 疑って! 頭をからっぽにして! 真実は教わってきたことと違うところにあるから、今までの知識で頭が満杯だと受取る隙間がないでしょ? だから、感覚をしっかり受取れるように空っぽにして!』
 
コップを例にすれば、既存の知識という水で満たされたコップに、新しい知識の水を入れようとしても、そのコップには新しい知識の水を受け入れる隙間がないから、あふれて行くだけでコップには新しい知識の水が残らない。だから、新しい知識の水を受け取れるようにするには、一度コップにある既存の知識という水をこぼす(コップを空にする)必要があるということ。
 
おかげで、最近の僕はお外の情報に振り回されることも、感情的になることもなく、冷静に穏やかに過ごせている。
 今こうして僕が穏やかに過ごせているのも、喜代が教えてくれたことや氣づかせてくれたことのおかげだと思う。ありがとう。
 
それから、今まで僕が発信してきた情報で傷つけてしまった人たちもいたかもしれないし、嫌な思いをさせてしまったかもしれない。
 過去を反省して、これからは読んでくれるみなさんや、僕の発信を見てくれてる方たちのことにも氣を配りながら活動していきます。

         ~ つづく ~

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?