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言葉を書く、言葉に触れる

もっと書こうと思った。

先日何年ぶりかのnoteを投稿した文章を読んでくれた人がいて、
言葉選びが好きだとか、もっと書いてほしいと言ってくれた。

とっても嬉しかった。

嬉しいという気持ちとともに、届けきれてないものもたくさんあると思った。

言葉や文章は、実は中学の頃から書いている。
描き始めた当時は、ほんとに恥ずかしくなるような青臭い文章を書いていた。恋の瞬間の独特な時間の流れだなぁとか、人の別れって愛しいなぁとか、そういう感覚を表現したくて、物語にしようと思ったこともあった。

結局ものがたりは数本書いて終わってしまったけど、ずっと自分の考えや言葉は言葉や文章に育てられてきたと思っている。

ほんとに枝葉ひとつひとつで全体の雰囲気が変わってしまうもんだから、それが醍醐味でもあり、しっくりこないと諦めてしまう原因にもなった。その納得のいかなさが、気付けば数年続いていた。

もっと書きたいという気持ちが痺れを切らした。

うまく書きたいけど書ききれないという気持ちは、今もまだある。
たぶん、これからもずっとある。

晴れた日の青空にもいろんな種類があるように、
楽しい日も、悲しい日もいろんな日があって、
その日々に表現できる言葉もきっといろんな形がある。

だから、どれだけ忙しくても、書くことに意味がある。

1つの絵に人生を込める生き方もいいけれど、
描き続けた結果が人生になる。

そんな生き方も、悪くないと思えた。

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