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ゲイのロックバンドがチェコスロバキアをソ連の圧政から救った奇跡のバタフライエフェクト

えっ?どういうこと?というタイトルですが、そういうことです。
NHKで5月9日夜に放送された「映像の世紀 バタフライエフェクト ヴェルヴェットの奇跡 革命家とロックンロール」で、驚きの歴史が明かされました。

最近見たドキュメンタリー、いや映画を含めて、一番の感動でした。涙が出ました。NHK+で見逃し配信してます。

1965年に、ニューヨークで「ヴェルヴェット・アンダーグラウンド」というロックバンドが結成されました。リーダーは、ゲイを公表していたルー・リード。
「I'm waiting for the man」は「僕は僕の男を待っている 26ドルを握りしめ」などと赤裸々な同性愛やドラッグをテーマにした歌を発表。

セールス的にはメジャーにはなれなかった(そりゃそうだよね、当時、同性愛は精神疾患扱い。ラジオでは流せないでしょ)。
その頃、たまたまチェコスロバキア(当時はソ連の衛星国)から劇作家のヴァーツラフ・ハヴェル(この人も知らない人でした)が自身の映画が上映されるためアメリカを訪問して、1ヶ月間滞在しました。
ロックンロールを知らなかった共産主義国の芸術家は、レコード屋で偶然手にとったのがヴェルヴェット・アンダーグラウンドのレコードで、それを聴いて、気に入り、母国へ持ち帰りました。
そして、この同性愛讃歌が、チェコスロバキアの歴史を変えることになるのです。
1968年に、チェコスロバキアは民主化「プラハの春」(これは有名)が起きました。
ハヴェルが持ち帰ったヴェルヴェット・アンダーグラウンドはコピー(笑)され、チェコスロバキアで人気になり、その影響を受けて誕生したバンドが、ザ・プラスチック・ピープル・オブ・ザ・ユニバース(通称PPU)です。知らな〜い、こちらももちろん初耳。
PPUはチェコスロバキアで人気バンドになりましたが、当のアメリカのリードはそれを知らなかったそうです。今なら、ユーチューブでコピーバンドがどこかの国で流行ったらすぐに、もとのところに届きますが、当時はインターネットがないですからね。
しかし、プラハの春は、すぐにソ連がワルシャワ条約機構軍を率いて戦車を送り込み鎮圧しました。多くの市民が犠牲になりました。
片言のロシア語で、ソ連の兵士に詰め寄る市民たちの抵抗。このソ連の兵士は、果たして、ロシア人だったのか、ウクライナ人だったのか、それともポーランド人だったのか、映像からはわかりませんが、胸を打つ映像でした。
しかし、歴史の教科書で知っているように、チェコスロバキアは再び共産主義つまりソ連の支配に屈します。

一方のアメリカのリードも泣かず飛ばずで、レコード会社から、ドラッグをテーマの音楽作りをやめるように言われて、キレてしまい、ツアー中に脱退。
PPUは1976年(だいぶ経ってからですね)に、国の秩序を乱して社会を道徳的に堕落させたとして、逮捕起訴されてしまいます。公の場での演奏を禁じられていましたが、バンドのマネージャーの結婚式で曲を演奏したのが、逮捕理由だったそうです。
この逮捕に立ち上がったのが、地下で音楽活動を続けていたハヴェルでした。
ハヴェルものちに逮捕、起訴されて1979年から83年まで刑務所で実刑となりますが、その間も、ハヴェルの別荘で、こちらは先に刑期を終えたPPUがアンダーグラウンドな地下コンサートを続けました。
そして、さらに時代は過ぎて、1989年に、学生たちが「反ナチス」を掲げて大規模集会を開催、それがいつの間にか(市民にとっては、ナチス=ソ連というお約束だったのでしょうね)共産主義への反政府運動になっていきます。1週間前に、ドイツではベルリンの壁が崩壊していました。
政府は軍隊を派遣して学生デモを鎮圧にかかりますが、あのハヴェルが学生デモから国民上げての祖国の自由を求める運動に変えました。
そして、11月24日、チェコスロバキアの国民は無血革命に成功します。
ソ連の侵攻から20年!
市民が新たな大統領に選んだのは、


ここからネタバレ










ハヴェルだった。

えっ?!ハヴェル?!

まじか!大統領になったのか!とビックリ。
そしてこの革命は、無血であったことから、ビロード革命「ヴェルヴェット レボリューション」と呼ばれているそうです。
音楽だけで世界は変わらないけど、音楽は世界を変えうるのです。音楽が人の心を支えるからでしょう。

そして大統領に就任した翌年、ハヴェル大統領はアメリカの雑誌のインタビューを受けることになり、そのインタビュアーにリードを指名。
リードにしたら「えっ?おれ?チェコスロバキアの大統領のインタビューを俺がなんでするの?」という感じでしょう。なにしろ20年前の自分の歌が海を渡って、その国の自由をもたらすテーマ曲になっていることを全く知らずにいたのですから。
インタビューで、ハヴェルは「ヴェルヴェット革命」のネーミングは、無血だったことが理由だが、それだけではなく、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドの1枚のアルバムが、はじまりにあるからだと明かします。リードが泣いたかは知りませんが、ここでもう号泣です。

ハヴェルは、その後、世界の民主化運動の模範となりました。アラブの春や中国の民主化運動にも影響を与えたそうです。
チェコスロバキアのハヴェル大統領は、きっと世界史的にも有名人なのかと思いますが、その原点が「同性愛讃歌」だったとは!これはまさに歴史に残したいエピソードです。



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