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【Zatsu】創造力が枯れるとき

まじめな話。

周期的に意識してしまうことがある。

創造が呼び水となって、さらなる創造へとつながる。
何がどうなっているのか自分でもよくわからない。
でも、なんだこれ、とにかく楽しい。
いわゆる『ゾーンに入る』ってやつ。
ゆっくり落ち着いて物事を考えている場合じゃない。
次から次へと湧き上がってくるアイディアを拾うので精いっぱい。
しかも、それらがどれも秀逸でいとおしく、思い入れを感じる。
こいつは面白いことになりそうだ、と気分が高揚する。

そういう体験を久しく感じていないな、という実感。
それが、定期的に頭をよぎる。

学生のころ、世の中の構造について(哲学的な観点で)真剣に考えていたことがあったのね。当時の自分のたどり着いた認識は、「私の周囲で起きている様々な事象は映画のようなもの。私はそれを鑑賞している立場。自分以外の人々は、いわば私が鑑賞している映画の登場人物に過ぎない。彼らは劇中の登場人物であり、それ以上でもそれ以下でもない」という結論。
と同時に、彼らにも映画を鑑賞している立場が存在しており、そこにおいては、私は彼らの劇中登場人物となる。したがって、世界はそれぞれの意識が織りなす劇の多重構造になっており、それらのなかで、私は観客でありつつまた登場人物でもある(主体であり客体である)、ということ。

まぁ、こじらせていたのかもしれないですけどね。ただ、こういう1円にもならないようなことを考え詰めている間というのは本当に楽しくて、それが物語の中核要素になったりもした。

あるいは音楽(とくにインスト)。目をつむって耳を傾けていると、音から言葉やストーリー、情景が想起されたりした。自動筆記みたいに筆が進む、みたいなちょっとヤバイ感覚。クラシックとかも楽譜まで買い込んで、音楽理論とかも自分なりに勉強して、オンガクを理解しようとした。そのうえでそこからコトバを感じ取ろうとした。
なんだろう、ちょっと引くわ (・ω・`;)

そういう没入感が最近とんとありません。
で、なぜかと考えたんだけど、理由のひとつとして思ったのは、圧倒的なインプット不足。それも、量というよりは偏りの問題。
わけあってここ数年は資格試験の勉強をしており、プライベートの時間は勉強にあてている。読書も実務の本しか読んでいない。
もっというと、筒井康隆を読んでいない(これはいけませんねぇ)。
つまり、アタマが栄養失調なんだろうね。いろんな栄養をインプットすればアタマが耕されてもっと食物も育つんだろうけど、残念ながら土壌がやせてしまっているのが現状。

もっとも、現実問題として1日はあいかわらず24時間しかないし、資格の勉強は続ける必要があるので、すぐに土壌を豊かにすることは難しいけれど、でもインプット不足の現状を認識できただけでも成果だったなと思いました。自覚がないままズルズルいくこともありえたわけなので。

インプットは興味の赴くままに本を読むことかもしれないし、観劇や映画かもしれないし、ひとと会話することかもしれないし、旅行かもしれないし、ひとそれぞれ。でも、共通するのは意識しないと摂取できないということ。とくに、仕事やらなんやらで忙しくなってくるとなおさら。

栄養がゆきわたっていれば、ふとした瞬間に化学反応が起きて、シナプスがつながって、創造が創造を呼び、Welcome to ZONEになるのかもしれない。ここのところ仕事で詰めることも多かったので、これを機にちょっとずつでも変えていこう。

やっぱ、楽しくないとね。
(*´∀`)/


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