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生きることが苦しいと思ったあなたへ

この3ヶ月間、私は自分と向き合う環境にいました。とても苦しく、今までになく自分の在り方や生き方、後悔や未来など、一生懸命にがんばらないからこそ見えてきたものがあります。

子供の頃は、できる自分でなければならないと思っていました。楽しんではいけないと思っていた子供でした。だから、自分が本当に楽しいものや望むものは、押さえ込んでいました。わがまま、調子に乗っていると思われるのが怖かったからです。

大人になって、楽しんでもいいことに周りが気づかせてくれました。少し、解放されました。でも、自分をよく見せることで、自分が守られる感覚は捨てられなかったようです。

知人が、足るを知る、ということをよく言っています。最近その感覚がわかるようになってきました。私はいいように私を見せずとも、いいと思える自分でいたい。

人を怖いと思う出来事がありました。たくさんありました。でも、一方で、人に生かされていると思う出来事もたくさんありました。この人たちの笑顔を見たいから、頑張っている自分でいたいと思う日常でした。

人の幸せは、ほぼ、人間関係で出来上がると言います。日本には、特に都会には地域やあるテーマのコミュニティは存在していてもどこか、”意識が高い人たちの集まり”のようにみられている人が多いのかもと思っていますがいかがでしょうか。

私はそれは少し違うなと思っているんです。海外を例にしてしまって恐縮なのですが、学んだりして知識を得ないと、そのコミュニティに入っても最初は分からなかったりするんですよね。

コミュニケーションを取る技術が、足りていなかったり知識が足りていなかったり。ハードルが高いと感じているかもしれません。

あるいは自分の考えに自信が持てなかったり、批判されたらどうしようという気持ちもあるかもしれません。心理的安全性がなければ、積極性も引き出せないと思います。それも、心理的安全性を環境として構築することはそれぞれの意識やファシリテーターの力量が必要です。

学ぶこと、知ることが必要だと思いました。

人は、なぜ学ぶのか、という問いに対して、”楽に生きるため”と私は思っています。でも、これも変わるかもしれません。

私は、この3ヶ月間、働くこと、生き方、在り方、私自身を見つめました。世界と私の境界線を、フィルターをどう、設置するか。

人生のスタートは、人のタイミングそれぞれです。スタートというのは、エゴから少し抜け出したところからだと思っています。世界に飛び出し、大人になり、周囲との比較を自らと、他人からされることで、自分の世界に対する位置やあり方と対峙する。

私はそれが周囲より遅かった気がしています。だから、まだまだ未熟です。困ったことに、仕事に一生懸命取り組むことで、プライベートや自分のアダルトチルドレンを蔑ろにしていました。昭和のおじさんのようです。

人生を、私なりの豊かさをこれから作っていこうと思います。幸せに対して、臆病にならずに幸せになっても大丈夫ですよと、言い聞かせていこうと思います。

直近でやりたいことができました。癒される読書会をしたい。人が自分を受け入れたり、認めたりできるように。ゆっくり、考えて、私や他の人が、傾聴できるような。

傾聴は、私の得意とするところです。傾聴は、その人に対する尊敬の意です。人は、心の声を聞いてもらうだけで、それを報酬だと思うのです。聴くこと、そして、ジャッジしないこと。発言は発言者の心に伝わり、心を変えていくものだと思います。

傾聴が知りたいという方は、こちらの本をご参考に。私も何度も目を通しています。

#今日のBGM 癒しは、自然と、時間と、音楽と、本。味覚も戻ってきたし、痛みも治ってきました。話を聞いてくれる親や友人に感謝をし、生きていても大丈夫と思えます。ありがとう。

世界を美しいと思うか、辛いと思うか、混沌とした世界は、私のフィルターを通してしか本質は見えていません。世界にどう”反応”しているか、その反応にどう”対処”して付き合っていくのか。

苦しんでいても、そこにはそれに気づくことで成長がある。成長すると、自分の理解が進んできっと少しずつ生きやすくなる。そう信じて、生きることは続くから、進みましょう。

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