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中納言行平とは?

中納言行平とは?

中納言行平は、生没年:818年~893年。
第51代:平城(へいぜい)天皇の孫です。
17番でご紹介する在原業平(ありわらのなりひら)のお兄さんです。
本名は、在原行平(ありわらのゆきひら)といいます。

★系図

阿保親王・侍女
→大江音人→大江千里

阿保親王・伊都内親王
→在原業平

阿保親王・(不詳)
→在原行平

840年に、第54代:仁明(にんみょう)天皇の蔵人(秘書のような仕事)に任じられました。


855年に因幡国(いなばのくに:現在の鳥取県東部)の国司(こくし)に任じられて、
因幡守(いなばのかみ)と呼ばれました。
国司とは、現代の知事みたいなものかと思ったら、地方の祭祀・行政・司法・軍事を任される役職だそうです。

因幡守を2年勤めたあと、
857年に、兵部大輔(ひょうぶだゆう)といういわゆる軍事の役人として
京の都に帰りました。
『古今和歌集』によると、
文徳天皇のとき須磨に蟄居を余儀なくされました。
この出来事は、後に、
「源氏物語:第12帖須磨」の
モデルになったと言われています。

860年、左京大夫を務めました。
詳しくは、





882年、第57代:陽成(ようぜい)天皇の時代に、中納言(ちゅうなごん)の役職に就き、
百人一首では、中納言行平と呼ばれます。


中納言行平は、因幡守以外にも、播磨守・信濃守・備中守・近江守などを歴任しています。
その他にも京の都で色々な役職に就いています。



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