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もう一度、奏でよう

ピアノをはじめた。
実に20年ぶりのことだ。


葛藤


ピアノは自分にとって様々な感情を思い起こさせる存在だ。
物心つかない時から、ずっと弾いてきた。

練習は辛いし、友達とも遊べない。
あまりにも嫌で、ピアノの蓋に歯をたてるくらいだった。

しかし腕前は上達した。
コンクールに出れば賞をもらった。

「楽しい」と思ったことはなかった。
だが「嬉しい」とは思った。

「ピアノを上手に弾けば誰かが褒めてくれる」

半ば義務だったと思う。
だからピアノを弾いていた。

時は流れ、無知な子供は路頭に迷った。
気づけば周りに追いつかれつつある。
手も小さく超絶技巧を要する曲も弾くのが難しい。
でも、ピアノしか弾いてこなかったから、
他にやりたいことが何なのかもわからない。

「自分の存在意義がなくなる」
そういった焦りもあり感情も荒れに荒れた。

「あなたの演奏は日本には向かない。
海外に行ってはどうか。」

という、唯一自分を理解してくれた
先生の言葉にも耳をかさず、
ずるずると国内の音大に行き、
埋もれ、ただの人となった。

そしてピアノと決別した。

「音楽を取ったら何が残るのか」と散々言われても
これ以上向き合うのは難しかった。

「今までありがとう」

とも言えずに。
ピアノの蓋を閉じた時、自分の気持ちにも蓋をした。


つながっている


それから、自分はデザイナーを目指した。

「音楽のことは忘れる。新しい自分になるんだ」

そう言って再出発をした。
怖くてたまらなかった海外留学もし、修行を積んだ。
音楽で勇気が出せなかったリベンジのつもりだった。

そしてデザイナーになり、様々なものを作った。
そして、何かを作るたびに気づくのだ。
リズムが、音が、聴こえてくる。

「ここのタイポグラフィはもっとワルツを踊るように」
「ここは交響曲を感じさせる力強いシェイプが良いかな」
「この色彩はホ長調をイメージした、緑豊かな感じにしよう」

ピアノと共に歩んだ時間は
自分の中に確実に生きていた。
そう、つながっていた。

ずっとずっと、見守っていてくれたんだ。

そう気づいた時に
自然と涙があふれた。

一度自分から突き放した。
もう、心がピアノに向くことは二度とないと思った。
苦しい思いをしたのは、お前のせいだと、
感謝もせずに、一度はゴミ箱に捨ててしまった。

こんなにも、与えてもらっていたものをずっと見て見ぬ振りをしていた。
自分は傲慢だった。
そしてあまりにも無知だった。

もう一度奏でよう


そして、私はピアノの蓋を開けた。
変わらぬ艶やかな黒と白のコントラストは
さながら光と影のようだ。
時には光のように輝かせてくれた。
時には影のように寄り添ってくれた。

「まるで月のようだな」

ドビュッシー「月の光」
はじめて好きになった曲を弾く。
以前のように指は動かない。
でも、はじめて、感謝の気持ちと同時に
「楽しい」という気持ちが溢れてきた。

「ありがとう、大好きだよ」

ようやく気づくことができた。

自分はピアノから逃げていた。
音楽で結果を出せなかった、情けない自分を許せなかったから。
自分にも他人にも「申し訳ない」という気持ちが大きすぎて顔を向けることはできなかった。
しかし、ピアノから離れていた時も、自分の中にある音楽は
ずっと存在し続けていて救ってくれたのだ。

長い年月を経て、ようやくまた向き合えるようになった。

受験時代に苦しめられたショパンのエチュード。
ずっと挑戦したいと思っていたジャズアレンジ。
「何か弾いて」とリクエストされた時に弾く人気の曲も面白い。

「ピアノを弾くってこんなにも楽しいものだったんだな」
あの時真っ正面から向き合えなかった気持ちを、
今度は正直に出せる気がする。

もっと弾けるようになりたい。
セッションがしてみたい。
ストリートピアノを弾いてみたい。
曲を作りたい。
やりたいと思うことがまだまだある。

「今までありがとう。
これからも、よろしく」

と、言えるようになった今は
今日も自由にピアノを奏でるのだ。


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