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心理学の観点からみた異文化理解(3)

「異文化理解」の授業資料として作成した文章の続きです。第1回第2回では、ホフステードの提唱する文化の違いを捉える6つの次元をみてきました。しかし、このモデルには批判もあります。ここでは、そのような批判を見た上で、最後に結びの言葉を述べたいと思います。

ホフステードモデルへの批判

1. 代表性の問題

ホフステードの研究チームは1970年頃、約40ヶ国のIBMの社員からデータを収集した後、他の国でデータを継続的に収集したり、専門家の推定を使用しました。 IBMの社員のデータが中心を占めているため、一企業の従業員のデータが一国の国民の価値観を代表できるのかという批判があります (Baskerville, 2003; McSweeney, 2002; Minkov, 2018). 貧富格差や教育格差が大きい社会であればあるほど、代表性の問題はより深刻になる可能性があります。例えば、発展途上国のIBMの従業員は、一般国民に比べて教育水準、社会経済的レベルが高い集団である可能性があります。 また、数十年前に発表された価値観が、現在の地球上の多様な価値観をよく反映できるのかについても疑問が提起されています。

2. 妥当性と信頼性の問題

モデルの各次元に対して繰り返し検証が行われてきたわけではないという点で、妥当性と信頼性に関する問題も提起されています (Minkov, 2018; Minkov & Kaasa, 2020). 例えば、個人主義・集団主義の項目の妥当性が低いという研究結果があり(Brewer & Venaik, 2011; Minkov et al., 2017)、不確実性の回避・受容と男性性・女性性についての概念的な問題が提起されることもあります(Minkov, 2018)。ホフステードの同僚の研究者だったミンコフは、個人主義・集団主義の測定項目を修正するとともに、柔軟性対記念碑主義(Flexibility-Monumentalism)という次元を提案しています(Minkov, 2018). 柔軟性は自分自身を変化と発展可能な存在として見て、絶え間ない自己開発に価値を置くことを意味し、記念碑主義的価値観は自分自身をそれ自体として高貴で素晴らしいと考え、後天的な努力を通じて変化を試みることに大きな意味を置かないことです。 この側面は、儒教文化圏である東アジア(高い柔軟性)とラテンアメリカやアフリカの文化(高い記念碑主義)の違いを説明することができます。

記念碑のように変化しない自分自身を素晴らしいと考える価値観をミンコフは「記念碑主義的価値観」と呼びます

おわりに

ホフステードのモデルへの是非はあるものの、文化圏によって価値観や考え方について何らかの傾向性の違いがあることは、疑いようがないように思われます。

それぞれの文化圏が異なる心理的な特徴を形成する過程には、それぞれの国・地域の地理的、自然的、歴史的、政治的要因が影響を与えたでしょう。そして、これらの特徴は、各文化圏の基本的な価値観として内在して維持され、次の世代に伝承されてきたのでしょう。

一つの文化圏の主要な価値観も産業化、グローバル化のような巨大な外部要因や戦争、パンデミックなどの国家、世界レベルの危機を経験しながら変化します。 しかし、その速度は非常に遅く、その変化に抵抗する個々人も内部には存在するため、順調ではありません。 例えば、経済成長ですべての文化圏が個人主義的な価値観を重視し、平等を追求する方向に進化していくという近代化仮説(modernization hypothesis)があります(Inglehart & Welzel, 2005)。これを裏付ける縦断的研究もありますが、結局は進化に限界があったり、その方向性が一貫していなかったりして、むしろ過去の価値観を重視する方向に戻ることもあるという主張を裏付ける研究もあります。例えば、最近日本で行われた研究では、コロナ禍以降、日本人の価値観は伝統性を重視し、男女差別を支持する方向に回帰したことを示唆しています (Akaliyski et al., 2023)。人間の進化のように、文化的価値観も人類社会が最も円滑に生存し、発展していけるような方法で進化していくでしょう。 しかし、これまで各文化圏が異なる方法で進化してきたように、今後も文化圏による価値観の違い・多様性は存在するでしょう。 したがって、私たちは異なる文化圏の価値観、つまり社会と個人にとって重要な問題に対する最も適切な解決方法を理解し、適応していく必要があります。私たち自身がその方法に従う必要はないとしても、その方法自体は理解しておく必要があります。

文化的価値観について考える際に、皆さんに一つお願いしたいのは、個人差に留意することです。 例えば、日本人が概して長期志向が高いからといって、すべての個人がそうであるとは限りません。 節制が美徳である日本文化圏においても、放縦的な価値観を高く持つ個人も存在します。 したがって、文化的特性によって、その中の個人に接する際に、文化的な固定観念で判断しようとするのは危険です。ただ、自分と異なる文化圏の個人と接触するとき、新しい文化圏を経験するときに、あらかじめその文化圏の一般的な価値観を知っておくことは、円滑な交流と適応をするために有用でしょう。 また、各文化圏の人々の一般的な傾向と一致する傾向を持っている個人ほど幸せであるという人・文化適合仮説(Person-culture match hypothesis, Fulmer et al., 2010)もあります。

どの価値観がより正しい、間違っていると判断することはできません。 私たち自身がすでに特定の文化圏のやり方を吸収し、偏った視点で相手の文化圏を眺めているからです。 望ましい異文化接触、異文化適応は、主観的な判断から離れ、まず相手の文化圏の視点を理解し、視点を変えて世界を見ようとする努力から始まるでしょう。

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