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8月が終わり、9月の声を聴く。

小学生の時も
中学生の時も
高校生の時も
8月31日が恐ろしく残酷だった事を覚えている。

8月20日を過ぎる頃には、不安と恐怖心に苛まされていた気がする。

学校に行きたくない理由はふたつ。
夏休みの宿題が終わっていない。
「友達」と称されるクラスメイトに会いたくない。

夏休みの宿題なんて、あんなもの本当に意味があるのだろうか。わたしは少し、面倒くさがりやのズルい子だったから、後ろにある回答を見ては写していた気がする。全部ではないけれど。親の目を盗んではそんなことをしていた記憶がある。
心のどこかで悪いことしてるな、と思いつつも「弱いこころ」に勝てない自分がいて、そうやって子どもながらに「罪悪感」と「ズル賢さ」を覚えていくのかもしれない。
子どもってまだ純粋だから、その罪悪感に慣れてなくて、9月がくるのが怖かったのかもしれない。
考え過ぎて、心が病んでいた気がする。

そして、もうひとつの理由
「友達」と称されるクラスメイトに会いたくない。
こっちの理由が「学校に行きたくない」大半を占めるかもしれない。

学校という社会は、恐ろしいほど狭い。

私は人間関係が下手な方だ。
人の心がわからないし、自分本位でしか物事を考えられないのだ。

だからずくに村八分目になる。
出た杭は打たれるのだ。

これは今でもそう。
つい最近も上司に「会社で自分本位すぎると自分が辛くなるよ」と言われたばかりだ。

30歳を迎える歳になっても
10代の頃とあまり変わらない。

とにかく、10代の頃人間関係がとにかく下手だった。

「高校時代が楽しかった」と言う友人の話を聞くと、羨ましいなと思う反面、今の自分がいるのはあの頃の感受性豊かで辛い時期があったからなのかもしれない、とも思う。

当時は居場所探しに必死だった。
自分には居場所がないと思ってた。

30歳を前にして。
居場所ができた、気がする。

というか、居場所を転々としてきた。
居心地のいい場所、というのは必ずあるのだ。

高校生の頃、毎日つらかったし
ずっと何かに縛られていた気がする。
毎日死にたいと思ってたし
生きている意味なんてわからなかった。

30歳なんですかおばさんなんて思ってたけど
今が一番旬な気もする。

相変わらずメンタル弱い時もあるけれど
事実はひつとで解釈は無限だと言うことを知ったから、心を豊かにしながら生きていこうと思う。

とにかく、10代の頃死ななくて良かった。
今の方が人生断然楽しい。

8月が終わり9月の声を聴くのも、悪いことじゃないと思う。

いつか、感受性豊かだった時代のことを思い出す時があるだろうから。それがたとえ辛いことだったとしても、必ず自分の糧になるから。


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