人生はガチャである。

 昔、ネットで『漫画至上一番強いキャラクター誰か』という論争があり、数ある戦闘力のある主人公が名を連ねる中、割って入った存在がいた。それが”ラッキーマン”だ。ご存知の方もいるかもしれないが、全ての敵をラッキーで倒してしまうヒーローだ。実にシンプルな話であるが、このわかりやすさが当時まだ幼稚園生だった私に刺さった。今でも読んでみると、ラッキーマンの背中に書いてあるセリフや、ページ数やコマが足りないことをモブに言わせたりと、くだらないけどもご都合主義的なツッコミが面白い。しかもこ漫画がジャンプなのも面白い。そして、絵の雑さ加減も面白い。

 なぜこの漫画を急に思い出したかと言うと最近なにかと社会はガチャである、という論調をよく目にしたからである。おっしゃる通りで、どんな屈強な敵が出てもラッキーで勝ってしまうヒーローはあくまで最強だ。ちなみに、同漫画では努力マンも出てくる(名前にひねりがなさ過ぎて面白い)。名前通り武道や書道などあらゆることにおいて努力で補う存在である。しかし、ラッキーマンに敗れ師匠と崇めることになる。努力が必ず報われるとは限らないのである。

 社会はガチャだ、という論調を目にすると、確かに人生とは親ガチャであり、会社ガチャであり、上司ガチャであり、出産ガチャである。特に親ガチャなんて言うものは万が一悲惨な家庭に産み落とされたら、まともな教育を受けられず、選択肢もあることさえも気づかず生きていく可能性もあるのだから、この運命論に真っ向から否定はできない。もうなんの異論もない。本人がどれだけ悩み、葛藤してもある程度は運命づけられていると思う。中国では寝そべり族という高等遊民みたいな人種がいるらしいが、要は何かをしても結局トップのものに搾取されるぐらいだったら、最初から何もしない方が良いよねという考え方だ。本当にその通りだ。世の中はあらゆるライフスタイルを送るにつれお金がかかるように出来ている。果てはお金を稼ぐこと自体に所得税という税金でお金を回収されるから謎である。ただ、私は寝そべり族のようになにもしないという選択肢が非常に怖い。そこまで振り切れない。私は往生際が悪いのだと思う。

 寝そべり族のようになにもしないとして、いざ歳を重ねて取り返しが付かなくなった時が一番怖い。やっぱり働いておけば良かった・・・。となった場合、もう逃げ場がない。かたや、逆に嫌々でも仕事をしていると少なくとも実績はついている。そうやってのらりくらりやっていくしかないのかもしれない。

 思想に右左があるように自己責任と運、どちらに振り切れても良くないと思う。ちなみに、ラッキーマンは変身する前、追手内洋一(ついてないよういち)という何をしても悪いことが起きてしまう高校生である。しかし、それでも生きている。いわゆる無敵の人を作らないためには、なにかにつまずいてもなんとかなる、という雰囲気を作っていくことが必要な気がする。

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