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メモ書き|2期目のコーヒー豆買い付け|業務の引継ぎ|チームづくり

はじめに。

これは、日記であり、メモ書きである。

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どこか、生き急いでいる。複数の仕事をしなら、一週間に半日しか休まない暮らし方を、ここ1年以上繰り返してきた。さすがに体にも心にも息切れが来ているので、意識的にペースダウンする。
物足りなさをもの足りないままにまっすぐに受け取る。今年は厄年らしいので、控えめで動くことを徹底的に意識しようと考えた。そんな1年にしたいと抱負を掲げた2024年の1月もうすぐで過ぎ去る。

何か新しい本質らしき概念が、この上存在しないのではないかと思い込むほど、世の中の本質は案外、あたりまえなところにある。私の心に刻まれている、世の中の本質は、驚くほど平凡な中に隠されている。

人として、内面の心を成熟させる上で必要な言葉を知った20代前半の今、それらの言葉を吟味しながら、噛みしめながら、そうやって歳を重ねていきたい。そうすることが、暮らしの本質、生き方の本質の実践であり、その行く先にもどかしいほどの幸福があるだろうということ。

そんなことを頭ではわかっているけど「若いうちは」という固定概念にとらわせて生き急いでしまう「ワタシ」の仕事における想い事の日記である。

2期目のコーヒー豆買い付け

コーヒーのロースターになり、2年目を迎えた。1年目は、自己表現としてのコーヒーとプロダクトとしてのコーヒーの狭間で思い悩んだ。結論として、私が正しさだと一旦、信じることにしたのはプロダクトに基づく考え方。

とても尊敬しているエンジニアの先輩の言葉が大きな影響を与えた。

ものづくりの根底にあるのは、それを使用するユーザーさんの価値観だと思います。ユーザーに喜んでいただけるものづくりができる人は、自己表現としてのものづくりもできると思います。だけど、その逆は成り立たない、ただのエゴになるのではないか。

(20240111)

この言葉を一つの判断の材料として、仕事に向き合う中で、2期目の買い付けが始まった。
同じインポーター、農園、生産者、品種。すべての要素が同じとは限らないが、かなり馴染みのある銘柄のコーヒーたちをテイスティングする中で、すごく心の奥底から湧き出る情緒的な美味しさらしきものを感じた。

古い友人のような安心感とも例えるのだろうか。

友人に、すごく尊敬している茶人がいて、ここ最近、彼女のお手前や姿勢に改めて触れる機会があった。
その姿勢や余白のある時間との向き合い方に、なお私自身も未熟ながらものをつくる者として、感覚的に内省するものが大きかった。

1年越しで出会い直したコーヒーを
いつもの道具で、いつもの環境で淹れること。

そんな時間をかけて、自然と完成するコーヒーは、やっぱり美味しい。
この美味しさをユーザー(お客様)には、どのような体験設計で届けられるのか。
その問いに徹底的に向き合うと、頑固にいる暇はないし、プロダクトをつくる者としても、何一つ成し遂げらていない自分の課題が見えてくる。

そう、ある種の柔軟な頑固さが必要である。

きちんといろんな領域を回り道をして、力もつけて、日々の仕事を続けているうちに、自己表現的な要素は後から付随してくるだろう。

そんな想いで書いた、社内の豆紹介記事をいくつか紐づけてみた。

業務の引継ぎ

いくつか掛け持っていたプロジェクトの引継ぎを行うことになり、2~3か月かけて、整理をしている。まずは、担当していたタスクの整理から。
そして、文章化、実際のトレーニング、予期せぬ問題のソリューションをいくつか想定した上でのコミュニケーションなど。

引継ぎをするちに、何か抱えていたものを「解体」している感覚に陥った。
仕事を俯瞰するではないが、コミュニケーションの本質にも気づかされるし、ともかく、他者のあたりまえと自己のあたりまえが異なることは、当然のごとながら、改めてその事実に気づかされる。

引継ぎは、単なるタスクの移行ではなく、心の解体作業のようなもの。自己の常識が他者の非常識であることを再認識し、コミュニケーションの本質を垣間見る機会である。

そこに、思いやりが表れ、少なくとも思いやりのある引継ぎができたと思ってもらえたら嬉しいな。

チームづくり

引継ぎとともに、これはコーヒーの仕事と並行し、長期インターンとして勤めていた勤め先のことだが、仕事の領域を広げ、チームづくりから、主導して行うことになった。

チーズではない、チームである。

チーズづくりに比べると、チームづくりはわかっている、わかっている気にはなれるテーマである。一方で、実際に良いチームとして、一人ひとりの構成員が成長するとともに、会社に属す一部署として、事業そのものにいかに貢献する結果を生み出せるか。

良いチームのイメージはあたりまえにあるのだが、このあたりまえをしっかりとやりこなすことはチャレンジだろうな。と少し不安半分、自分自身にやれるかという素質や能力面についても半信半疑の状態。

この未知への不安をいかに乗り越えるか、そこに精神的に鍛えてきた心の筋力を発揮させたところだ。

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