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ファーストタトゥー

あえてタトゥーを彫るべき理由はなかった。個人の個性を表現し、自由さの象徴という巨大な精神勝利が裏に存在するだろうが、結局は「個の時代」という流行の波にさらされるのだ。

崇高なる思想や覚悟を決めるためといった捉え方もできるが、一流の人間は語る、表現する暇もなく努力をするだろう。そういう意味で、自分は全く一流からは程遠いとしばしば感じる。

 タトゥーを彫った理由は、素直に゛若いから好きなことがしたかった。”という一言で完結する。好きは否定できない。好きは批難できない。とりあえず「何か一生ものとよくも悪くも付き合ってみたい」という気持ちが強かった。人との関係性さえも一生続くことは難しい。
 このコーヒーチェリーのタトゥーが私に一生分の後悔を与えるか、この先、強く行きていくエネルギーをくれるかはわからないけど、喜怒哀楽というのかな。すべて背負って一生つきあっていきたかった。

「好きだから」という言葉を盾に、自分を守りたいという気持ちもある気がする。この先、偏見と不条理な対応をされるかもしれないけど、ハーフという立場で、この日本国に生きている時点で、もう慣れている。
差別、なんでそんなに自分と違う存在を我々は排除したがるのだろうか

人にはよく言うけど、”何かを後悔することはあるけど、後悔することをした当時の行動に対する後悔は絶対にしない。” きっと過去の自分がそれなりに必死に考えて出した答えなんだから、自分の轍(わだち)を否定したくはないからだ。

タトゥーを彫ってくれた彫師さん。
自分の仕事に信念を持ち、情熱的に取り組んでいる方だった。
自分の仕事に信念を頂き、情熱的に向き合う方は尊敬する。

タトゥーを彫ってから、2ヶ月ほど時間が経ているけど、今のところ、とても満足だ。
自己肯定感が低く、変に真面目すぎるところがあるので、人には見えないとはいっても、自分の心の中にエネルギーになってくれる。好きだ。

さて、これからどうなるでしょうか。

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