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違和感は大事に、動きながら考え続けたい理由

今年、最も大きな学びがあったとしたら「本質」と「本質=ほんしつらしきもの」を区別し、その位置関係を把握できた気になったこと。

以前は、本質の在り方があるという捉え方をしていた。本質は不変である。変わらず、ずっとありのままに、不動の状態であると想像していた。
しかし、実際は目まぐるしく変化する表象の引力にひかれて、深々とゆっくりと変容している。例えるなら、大陸移動のようなスピードで。これのスピード感の変化を「深変(ふへん)」と名付けて考えている。
だとすれば、在り方で捉える手法では、本質の正体を暴くことができない。必要なのは、表象と本質の間に、本質の実体があり、これを既存の本質と区別するために、「本質=ほんしつらしきもの」として捉えること。この間にある、ほんしつらしきものが、少しずつ深変している状態が、世界の在り方なのかもしれないという意識を持つようになった。

その上で、哲学するとは必ず思考と行動、行動と思考のプロセスを繰り返さないと成立しないのではないか、少し実学的な態度をとってしまう。
わかりやすいたとえは、領域を超えて、他者との対話を続けるアプローチ。
このアプローチの中で、抱く個々人の「違和感」が、在り方としての本質に対する反発を起こし、ほんしつらしきものを見出すための次の次元へと導く。

そんなことを考えて、動きながら考えています。


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