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振り返って思うけど、やっぱり悪くない学生生活だったよ。

 図書館で貸出した本にコーヒーをこぼして、弁済申請をするために、生協の本屋さんへ向かった。手続きを待つ間、推薦図書コーナーを軽く見てみる。【シカゴ学派の社会学】、「ああ、この本ね。2年生の時、読んでたな。興味深かったよ」、見田宗介さんの【社会学入門】「ああ、講義で読めって言われたから、読んだけど何だかんだ今も内容覚えているんだよな」

 卒論を写真論にしたので、最近、あまり読まなくなった社会学関連の本だけど、大学で感じた学問を学ぶことへの「トキメキ」、はじめは社会学からだったんだな...と振り返ったっり。

 そういえば、一時期はサードプレイス研究とかも興味持って、レイ・オルデンバークの「サードプレイス」も読んだな。研究と実践のバランスは大事とか大口叩きながらコーヒー屋さん挑戦したな。ビジョンを実現するには、未熟な私にとって、お店をするという現実はそう甘くもなかったけど、この本読みながら誰かの居場所になれるコーヒー屋さんしたいと思ってたな。確か名前は「ものがたり喫茶」とかやっけ。そんな抽象的なお店のタイトルつけるやつが、今やQグレーダーとか、スペシャルティコーヒーを語っているなんて笑ってしまうよ。コーヒーは突き詰めたいし、浅煎りも深煎りもリスペクトするけど、結局のところ、私はコーヒーに限らず、コーヒーを囲む何かが好きだったんだなと思う。

 居場所関連でいくと、西成のココルームについて、ミニ論文書いてたな。結局、僕より後輩の方が興味持って、深堀りしていったけど。

 少人数のゼミがいいなと思って、後付けの理由で入ったメディアのゼミでは、社会学よりすっかりはまっちゃって、ウォルター・ベンヤミンの「複製技術時代の芸術」、はじめて原著に挑戦してみたスザン・ソンタグの「写真論」、その前にはロラン・バルトの「明るい部屋」も読んだな。いや、ロラン・バルトの考え方は優しく、セクシーというか、バルトみたいな歳の重ね方をしいたいなとか、思いましたけど。
 写真論を卒論にするなんて、三年前、大学一年生の私はぜんぜん想像できなかったんだろうな。

 行き当たりばったり。僕なんて読書家の範疇にない人だけど、今まで読んだ本の中で、無駄なものはなかったな。あえて言うならHow to だけ書かれている自己啓発本は、読んでも印象に残ってないかもしれない。最近の自己啓発本って、すごい急かしてくるんだよな。本当に、学生にさえも目に見える形での、アウトプットと行動力が要求される忙しい世の中になってしまったものだ。でもいわゆる勝者と言われるらしい人々が書いた自己啓発本に中指指してきた過去に後悔はない。

 あと何したかな。ちょっとだけビジネスコンテスト参加してみたり...これもファイナルプレゼンで落選してしまったけど、良い経験だったな。マネジメントって単語、以前は触れたこともなかったし、よくも悪くもお金の関わる大人の世界、覗けた気がする。

 そうだ。恋愛もした。初恋のあの子には悪いことしたな。あの頃は未熟で、愛するということの本当の意味を知らなかったよ。まあ、会うことないかもしれないけど、もしどこかですれ違ったら「幸せになること、願っているよ」なんて一言だけ言いたいな。それからしばらく失恋の気持ちを引きずっていた頃に出会った彼女さんのKさん。太陽のように、すごい物事に対して前向きな気持ちにさせてくれる素敵な人で、初恋の失敗もあったからこそ、少しは大切にできたのかなと思うな。

 他にも初めて働いたコーヒー屋さんでパワハラを受けた話。これは、私も未熟だったところがたくさんあるなと反省するし、厳しさも重要だけど、それにしても言葉の暴力は今の時代よくないなと、色々と思うところがあるな。あと、一度は奨学金ももらえたな。お金じゃなくて、自分が大事にしてきた価値観が始めて社会的に認められた気分で、これ、本当にうれしかったな。大学の噴水に飛び込んだり...大学寮に住んでいた時、同時にルールを3つくらい破って、本来、退学レベルの失態なのに盲腸炎にかかってたおかげで、ペナルティから逃れた話とか、メガ・ハイボールばかり飲んで、悪酔いする頃を卒業して、バーのマナーを学び始めた話とか。留学生の友達もたくさんできたな。最近は留学生の友達に「おじさんdayo」とすごいいじられるけど。

 次のステージも決まりつつある、大学4年生の最後の夏。学生生活を振り返りながら、思ったより、悪くない、後悔のない学生時代を過ごしていたことに気づいた。 

  誰より、クレイジーで、真面目で、悩んで、泣いて、笑って。Number OneではなくOnly Oneな生活を過ごすことができた。そういう気がする。

 気づけば、後輩という人ができていた。見てて思うけど、そんなに焦らなくていいんじゃない?そんなに何様になろうとしなくていいんじゃない?と一言かけたくなる。これって説教おやじになるのかな。
 色々とキーワードだけが乱立している情報化社会だけど、そういう情報は断片的で、大事なのは君の人生という文脈なんじゃないの?とか言いたくなる。大丈夫だよ。それなりに努力すれば、なんとか、それなりに楽しく、生きていける。そういう気がする。

 なんてことを思っているうちに弁済申請が終わり、私は弁済金の1.210円を払った。「本は綺麗に読まなきゃ」と小学生の時から言われてきたはずなのに、大学生になっても直っていない。「人ってそんなもんなんだ」と一人で笑いながら、生協を出て、私は図書館に向かった。

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