見出し画像

個展まで、振り返り。その3(ムサビ通信)

武蔵野美術大学に通信課程がある。
その絵画コースに休学も含めると10年通っていた。

前記事にも書いているが、私が通信に入ったのは教員免許を取得したいためだった。
教員になりたい!という願望はそこまで大きくはなかったが、ひとまず食いっぱぐれることはないと考えた。(当時は私がパートナーを養えるために、という硬い思想をもっていた、、)

そもそも私は通信に入るまで絵を描いたことはほぼほぼない。
WIndouws MEが入っている自宅パソコンの初期ペイントソフトでたまーにデジタル絵を描いていたことがあった程度だった。(具象〜抽象的なもの。ダリが好きだったのでシュルレアリスム系といえるかな?)

なぜ美大の通信かというと高校時代の書道の授業で初めて教師から作品を褒めてもらった。単純な私は、その出来事に加えて私の脳内にありあまる表現力(妄想力ともいえる)が尽きないことを理由に美大に進んだ。

ムサビを選んだのは、卒業制作集を見たときに一番当時の私には理解が難しい、分からないけどなんかスゴい。そんな作品たちだったためだった。当時の自分は、分からないということはきっと学びがあるのだと判断した。
あとは単純に東京の方が全国から人が集まるのでいろいろな地域の人と話ができると考えた。

通信は日々仕事(私はアルバイトをかけもち)しながら課題を制作、レポート作成、提出。科目試験があったり、夏や秋にスクーリングに学校へ通学しなければならない。
私が出会った通信生はほぼ1、2年で退学。3年次からは他大学からの編入や、違う大学を卒業し単位を持っている3年次入学が多かった。
もしくは定年退職後の年配の方たち。一部、休日が自由に取れそうなフリーランスの方もいた気がする。

通信は卒業が難しいと言われる。
それは単位取得と自分の生活とのリズムの両立が難しいからがほとんどだと思う。
それでもいろんな地方のいろんな年代の方と共に制作をするのは楽しかった。
授業はほとんど大阪のスクーリングを受けた。絵画コースだったため、当時20代だった私はどの授業でも一番若く、心身ともに幼かった私は美術のことに関してもかなり学びがあった。
大阪スクは金子善明先生が主にみてくださっていて、抽象を描く先生の教え、というか先生との出会いは今の私にかなり影響を与えている。
ジャスパージョーンズやラウンシェンバーグ、タピエスなどいろんな抽象を教えてくれた。
そんな金子先生は抽象画を理解・実践しやすくするために本にまとめている。

「抽象画入門: 視点が変わる気付きのテクニック」金子善明著
https://amzn.asia/d/1YGnq2Z

4年次からは東京で実技の授業を受けるようにした。
東京の絵画コースは地方よりも平均年齢が若く、年が近い人たちの表現や東京でみている先生方の指導も私には刺激的だった。

思った以上にお金と時間もかかりなんとか卒業できたが、
20代のすべてをムサビ通信に捧げてしまった。
今思うと、これが自分自身を見つめる大事な期間だったのだなと思う。

通信時代は、課題を制作することに時間を費やしていたので、自分の作品と呼べるものをプライベートで描けなかった。
唯一自分の作品を描くことができたといえるのが卒業制作だ。
この20代で自分のセクシャリティについても散々悩んできた。
自分自身を悩み抜いて表現した作品が卒業制作。

次はその卒業制作とセクシャリティの話をする。