自分の奇行をどう伝えるか
早起きと自炊をしていたら、いやでもメンタルが改善してきた。
昨日は気分が良くなったので、踊りたくなった。
私は時々部屋の中で踊る。
ポータブルスピーカーで曲を流して、意味不明な動きをする。
JUDY AND MARY の『Cheese PIZZA』で踊る時もあるし、
ゆらゆら帝国の『空洞です』で踊るときもある。
そのときの気分でチョイスはだいぶ違うけど、とにかく踊って、
音楽に身体を紛れ込ませる。だいぶ気持ちいい。
踊っているときの私が、私の素に一番近いと思う。力強い。
表情から違う。顔の筋肉の力が入っていないのに、輝いている。
私は理性派だと思われることが多いが、私は自称超感覚派だ。自分の感覚はもはや言葉にはできない。だからランダムな言葉にして発することも難しい。宇宙人のようなものかもしれない。自分の中身を伝えるために、どうにか言葉をひっ捕まえて、つなぎとめて、納品している。はたから見ると理性派に見える。
昨日はJUDY AND MARYを聴いていて、youtube musicのランダム再生でaikoや椎名林檎も流れつつ、楽しくやった。
途中で飽きて、JAMが流れたまんま、ギターで中島みゆきの『化粧』を練習しているところでさすがにやばいと我に返った。
次の日、つまり今日。友達と友達と友達の友達とご飯を食べた。
友達の友達とは二度目ましてだったが、私は昨日の奇行をそのまま話した。
最近、自分の奇行をナチュラルに話せるようになった。
自分の奇行を「自分はちょっと変なところがあって、こんなこと言ったら引いちゃうかもですが、、、」と言って話しだすのと、「いや!昨日はサイコーでしたね」と話し出すのでは、相手の受け取り方が全然違うということに最近気づいた。
前者だと相手はどうしても「傷つけないようにしないと」と思うから内容どころじゃなくなる気がする。そして相手のリアクションを見てこっちも「やっぱり変だよな~」と落ち込む。
後者だと「なんか面白いやつだな」と思ってもらえることが多い。
その上で共感するならするし、しないならしない。爽やかな空気が流れる。
後者の選択ができるようになったのも、ありのままの自分を認められるようになったから。
結局、その友達の友達からは「考え方が近くて居心地がいい。」と思ってもらえた。
自分の面白さに気づいてくれる人は昔の自分が思っているよりも多分多い。
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