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元祖平壌冷麺屋note(25)

前職場でもあるウリハッキョ(朝鮮学校の愛称)の夏休み学童生活に、娘が参加できることになったので、その間、吹奏楽部のクラリネットの子を練習指導した。

「もとウリハッキョの教員で、今は平壌冷麺屋4代目」だと自己紹介したら、冷麺屋はよく知っています、という反応だった。「楽器は小5からずっと吹いていて吹奏楽団は20年続けている」ということも話した。しっかりと、大人の話を聞いて質問をしたら、きちんと答える素直な中学生。

教室で、一時間、一緒にロングトーンをしながら、好きな目標としているクラリネットの音があるかと訊ねたら、「adoの踊という曲が好きで、それを演奏しているクラリネットyoutuberの動画を観たことがある」と答えたので、スマホで、一緒に確認した。音色がよかったので、音出しの時にイメージする理想の音を持つことが大事だと伝えた。

伝えた、というより自分自身に言い聞かせていた。教えるということは、自分が教わるということに他ならない。

娘は、「ソンセンニム(先生)」「コマッスミダ(ありがとう)」「カンアジ(子犬)」の単語を覚え、朝鮮アニメを観賞したあとは、子どもたちが、ソンセンニムの質問に対して一斉に「イェ!(はい)」「イェ!」と手を挙げるので、同じように手を挙げて二回答え、褒められたことを喜んでいた。

アメリカの子供向け学園ドラマ(youtube)の「1、2、3、GO」みたいに、みんな元気に手を挙げていたんだよ、と娘が教えてくれた。「トンム(友だち)」も出来て、また今度は水遊びも一緒にしたい、と楽しそうだったので安心した。

半日、ハッキョにいて、廊下ですれ違った全ての学生たちが「アニョハセヨ!」と笑顔で「インサ(あいさつ)」するので、当たり前を当たり前にしていることの、大切を久しぶりに実感したのだった。ボクが娘の年齢の時も、須磨寺の家から西神戸のウリハッキョに向かう間に出会うすべての大人たちにあいさつしていた。

実家に帰った時、須磨寺商店街のお店の人たちは、いまだに自分のことを覚えてくれている。あいさつのおかげだ。インサとは「人(の行うべき)事」と書く。朝のパトロールで、地域の子供たちにあいさつし続けていたら、三ヶ月で三割くらいはかえってくるようになった。

民芸茶屋御用でランチのあと、ゲストハウスMAYAの「萬家と焙煎人」イベントでアイスコーヒーをいただく。オーナーの朴さんと平壌の話に。朴さんの祖父が、平壌出身で朝鮮戦争の時に南の捕虜となったあと運転手となり、「平壌パッチギ」と呼ばれていたエピソードが興味深かった。

スタッフのMAYA子さんには、「平壌冷麺」という韓国語の本を紹介してもらった。まだ日本語訳がないので、勝手に翻訳しちゃおうかな、なんて話す。今度、機会を設けて、日朝韓でじっくり話し合いましょうということに。

北と、南と、日本が「人」と「人」と「人」で、すでに友好のトライアングルを描いているのだから、歴史や政治に翻弄されるのは、バカバカしいという話。

ブラジル産の豆で焙煎されたアイスコーヒーを、娘は途中から牛乳を足して最後まで飲み干した。

焙煎人の紙谷さんに「ごちそうさまでした」、朴さんには「チャルモゴスミダ(ごちそうさまでした)、アンニョンヒケシプシオ(さようなら)」と、娘が、はにかみながら挨拶した。


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