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映画「 人間失格 」と太宰治の言葉たち【 本と映画の紹介 】

「 人間失格 」(蜷川実花 2019年)


映画「 人間失格 」を観ました。太宰治の作品(ヴィヨンの妻、斜陽、人間失格)、そして檀一雄の「 小説太宰治 」を思い出しながら観ていたら、思いの外楽しめました。映像での不足分を脳内で補完しながら。

リアリティ路線よりも、監督お得意のデフォルメとビジュアルで魅せる方法は、よくマッチしていましたよ。(平山夢明「 ダイナー 」の映画化は失敗していましたが。)

何よりも小栗旬が、想像以上に太宰治でした。あえて左利きを修正しなかったことで、「 過度な味付けお許し御免 」という監督のメッセージを、津島修治も笑って許してくれるでしょうね。否、「 如是我聞 」よろしく罵詈雑言を編集者に書写させていたりして。

ところで、太宰治は、映画についての言葉もいくつか残しています。


「 私は、たいていの映画に泣かされる。必ず泣く、といっても過言では無い。愚作だの、傑作だのと、そんな批判の余裕を持った事が無い。観衆と共に、げらげら笑い、観衆と共に泣くのである 」

「 私は、映画を、ばかにしているのかも知れない。芸術だとは思っていない。おしるこだと思っている。けれども人は、芸術よりも、おしるこに感謝したい時がある。そんな時は、ずいぶん多い 」

「 私が映画館へ行く時は、よっぽど疲れている時である。心の弱っている時である。敗れてしまった時である。真っ暗い所に、こっそり坐って、誰にも顔を見られない。少し、ホッとするのである。そんな時だから、どんな映画でも、骨身にしみる 」

太宰と映画は、意外と相性の良い気がします。(完)

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