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デジタルデータの文化が先にあったらヒップホップは生まれてなかったなって話と、大事なのは正しさよりも好きと継続って話

どうもjon-YAKITORYです。

前に言ったかもしれませんが、実は最初に手にした楽器はDJのターンテーブルでした。

ギターを始めるよりも前に、僕はスクラッチをパフォーマンスとする"バトルDJ"をやっていました。


その当時PCでできるDJはまだまだ信頼性が薄く、CDでできるCDJも大変高価だったのでレコードをシコシコこすっていました。


そこで思うんですけど、"スクラッチ"というものは回っているレコードを物理的に止めたり戻したりして音を奏でるわけで、

アナログでなければ絶対生まれないものだったなあと思うのです。

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今でこそPCDJというものがあり、USBで繋げられるDJコントローラを駆使して音源データをPC上でスクラッチできますが、

そもそもの発想はレコードの文化がないと生まれないわけです。


もし、世の中のコンテンツがアナログなものよりも先にデジタルな"データ"という概念として生まれていたら、

サンプリングという発想は出るかもですが、スクラッチなんて絶対出ないです。


そう考えるとすごい文化だなあと思います。

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昔、『インターステラー』というSF映画で「5次元空間の住人は、時間さえも物理干渉できる」と言っていました。

実際5次元空間に行き、時間そのものを手で触って動かしている描写があったのですが、

よく考えたらスクラッチも同じようなものですよね。


コンテンツに対して物理干渉が出来ているわけで、これはもしかするととっても高度なことでありとても哲学的なことなのかもしれません。


PUNPEEだって、「廻るのは季節とかレコードだけだと思ってたけど~」とラップしてました。

何かわからんが深いことを言ってる気がします。


僕らはデータに対して高次元に住んでいるわけなんですねきっと(だからと言って優位というわけではないが)。

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そう考えたらエレキギターのディストーションだって、偶然の産物なわけです。

PAが発達してなかった時代に、デカい音で鳴らそうとしたら音が歪んじゃったけど、なんかカッケー!みたいな、本当にノリで発展させてきたものです。


バイオリンの弾き方とかも、なんでそんな弾きにくそうな弾き方なん!?ってなりますよね。よく考えれば。

もしかしたらアゴで挟むことを考えた人に「ストラップつければ?」って言ったら「その手があったか!!」ってアホ丸出しで言うかもしれません。


伝統のある物でも、もとはアナーキーなものだったってのはずっと繰り返されてきたものです。

どんなに可笑しなものでも、続けていれば伝統になり得るということでもありますね。


本当に大事なのは『正しいことをすること』じゃなく、

『正しくないと言われてるけどこうしてみたいと思ったことを出来るだけ続けてみること』なのかなと思います。


最後名言っぽくしようとしたけど長すぎて名言っぽくならなかったの巻ですね。


今日はこんなもん?

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