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ライアン・ゴズリングの同級生は悪くない。目標を明確化できていない矛盾に苦しんだら土俵を変えようって話

どうもjon-YAKITORYです。

ラ・ラ・ランドって見ましたかね?もう何年か前の映画となってしまいましたが、アカデミー賞で6冠に輝くというとんでもない名作です。

Netflixにもあるので見ていない人はぜひドウゾ。

ラ・ラ・ランド自体は僕も大好きですし、全体を通して描かれている"大人なラブストーリー"はマジ卍って感じなのですが、

一つだけ解せないところがある。今日はそんな話でも。


※作品の意図とずれるところではあるし、あれがあってこそのストーリーなのは重々承知です。映画自体の批判ではなく、映画のシーンを例に出して世の風潮に対する個人的な意見です。

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それは、主人公セブが旧友キースに誘われ本格ジャズではなくダンサブルでシンセとかも使い倒すいわゆる"売れ線"のバンドで活動するようになるところ。

初日のセッションでシンセが鳴り出したときにセブはすごい嫌そうな顔をしたんですね。

キースは「『本物のジャズじゃない』って言いたいんだろ?でもな、お前は自分が好きなジャズを世に広めることに何か貢献したか?」と言います。


セブはレストランでピアノを弾いていたのですが、自分の好きな本格派のジャズを弾いたらクビになりました。

彼は「どうやったら自分の好きなものをみんなに理解してもらえるか」と考えてないんですね。その点においてはまだ子供っぽいです。

まあ、だからこそ"不器用な男"感があって、主人公映えするのですが。

キースは何も愛がないわけじゃないんです。むしろジャズへの愛が強く、何とか世に広めたいからこそ、大衆に分かりやすい音楽として落とし込んでいる。

大衆性と芸術性の両立のための努力もしているはずなんですよね。なぜなら彼のバンドの曲はすごくいい。

ヒップホップやエレクトロ、ファンクなどの研究もめちゃくちゃ行っているはずです。


本当に金儲けの為だけに音楽をただ利用しようというなら、そもそもジャズなんてやらずに当時ならEDMとかやってるはずです。

キースはラ・ラ・ランド中で最も健気な努力家だと、僕は思います。

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「自分は本物なんだ」と思い込むのは誇りと自信を持つうえで大事なことだと思うのですが、こじらせてしまうと話が違ってきます。

プライドばかりが大きくなってしまい、大衆に理解してもらおうという努力をしている人を攻撃しだすんですよね。


セブもバンドではずっとつまんなそうな顔をしてましたが、もし実際にあんな人がバンド内にいたらそれは大人としてどうなんだよって思いますよね。

インタビューを受けて写真を撮るときとか、めちゃくちゃぶっきらぼうです。


ああいう『ライアン・ゴズリング症候群』にかかっている人、割といる気がします。

村上春樹の「やれやれ」的な、そういうやつの先にあるもの。

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まあ結局のところ、セブの夢は『本格ジャズバー』を開くことで、『プレイヤーとしてジャズの発展に貢献する』ではないからなのだなと。

自分が掲げていた目標は実は自分のやりたい事じゃなく、その矛盾に苦しんでいたんですよね。


作曲家で言えば、「作家として音楽業界でのし上がってやる!」って思っていたけど、

本当に自分のやりたいことは『依頼されて曲を作る作家ではなく、自分の好きなものを作る』という矛盾を感じて苦しんでいるようなもんです。


周りの友達のやり方が正しいのはわかっているけど、許せない自分がいる。

そう感じしまう時は、もしかしてその土俵にいるべきじゃないのかもしれません。

似たような感情、あなたにもありませんか?


一歩引いて、自分のやりたいこととちゃんと向き合ってみるというのも大事かなと思う今日この頃です。


今日はこんなもん?

ぜひ曲も聞いてみてください!↓


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