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歴史が縄文を封印したのは、日本の先住民族が縄文人だから in 長野県小布施

先日、長野県の小布施(おぶせ)に行ってきました。小布施に行く途中、高速道路の車窓から、浅間山が見えました。浅間山は、アイヌ語で「火の吹く山」という意味だそうです。日本列島に数万年の昔から住んでいた縄文人。その直系がアイヌ民族で、アイヌ語は縄文ゆかりの言語。また、お隣の群馬県の有名な温泉地の伊香保温泉(いかほおんせん)。その伊香保という地名も、アイヌ語のイカポップ(山越の温泉の意味)から来ているとか?!そして小布施にも、縄文ゆかりの史跡があります。

・縄文の直系・アイヌ民族が築いた小布施のチャシ(柵)

長野県小布施の雁田山の頂上付近には、古代、アイヌ民族が築いた「チャシャ」と呼ばれる柵があります。チャシとはアイヌ語で「柵」や「囲」を意味する言葉。 アイヌ民族が多く住む北海道には、500か所以上ものチャシが存在します。しかし、チャシはたんなる柵ではありません。
アイヌ民族にとって、チャシの目的は▼砦や城、▼見張り台、▼祭祀の場、▼狩猟の拠点など諸説あるそうです。目的がはっきりしているチャシはほんのわずかで、今も研究が進められています。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%83%A3%E3%82%B7

古墳時代の3世紀から4世紀にかけて、ヤマト王権が小布施を攻略しました。その際、古くからこの地に住んでいた先住民(=アイヌ民族)がチャシ(柵)を砦として使い、ヤマト王権との戦いに使ったとの説もありますが、はっきりとはわかっていません。ただ気になるのが、どうしてこの地に住んでいた先住民を「アイヌ人」と呼ぶのか?どうして「縄文人」と呼ばないのか?それは多分、ヤマト王権を率いた人たちが生粋の縄文人ではなかったから。


・歴史が封印した、縄文の直系・アイヌ民族について

私は縄文に興味を持つ以前、古代、日本にアイヌ民族が住んでいたことは知っていましたが、あまり興味持っていませんでした。でも縄文を調べるうち、アイヌは縄文の直系であり、アイヌ語は、原日本語。そして正史が縄文を認めない理由についてわかってきました。

歴史の授業では縄文についてふれません。石器時代に近い、狩猟生活のような、未開?文化として扱っています。でも縄文時代は長く続いた平和な時代で、海外とも交易していた文化的な社会でした。
長野県小布施では、ヤマト王権が3世紀から4世紀ごろ、この地に住んでいた先住民(=アイヌ民族)を攻略します。その後8世紀、平安時代の将軍・坂上田村麻呂がこの地に、軍隊を率いてやってきます。少なくても2回、この小布施の地は、ヤマト王権により攻勢されたこととなります。でもなぜ正史は縄文を評価しないのか? それを解く鍵は「征夷大将軍」という役割です。


・征夷(せいい)大将軍の真の役割は縄文の東征

それを示すのが小布施の 雁田山にある、薬師浄光寺。こちら地元では、雁田薬師(かりたやくし)と呼ばれています。その設立は809年、坂上田村麻呂が攻略の折、空海の弟子の悦導に薬師堂を建立させたのがはじまりです。坂上田村麻呂は、一番最初の征夷大将軍です。
私は、あちこちの縄文ゆかりの土地を訪れていますが、縄文王国が滅びた場所は、その後、神社やお寺が建立されることが多いように感じます。中でも多いのが、薬師如来や観音さんが祀られるケース。つまり過去、何らかが起こった場所には癒しの存在が必要のようです。
薬師さんは、病気を治す癒しの仏様。観音さんも水神で、やはり癒しの仏様です。そしてこの 雁田山も、薬師さま。
薬師さまがまつられる場所は、落ち着いた、どちらかというと陰の気の強い場所が多い気がします。

話は戻って古代、この地にアイヌ民族(=縄文人)が住んでおり、ヤマト王権によって滅ぼされた、となっています。でもどうして、縄文人といわず、アイヌ民族と言うのでしょうか?
それはヤマト王権が「征夷(せいい)大将軍」という役割が必要だったから。征夷(せいい)大将軍の「征(せい)」は従わないものをやっつける意味。そして「夷(い)」とは蛮族を意味します。つまり征夷大将軍とは、朝廷に従わない蛮族をやっつけるの役割です。
その初代が平安時代の坂上田村麻呂将軍。次の征夷大将軍が、鎌倉幕府を作った源頼朝。そしてその次が、足利幕府を作った足利尊氏。最後が江戸幕府を作った徳川家康です。
つまり歴史上、征夷大将軍は4人おり、いつの時代も日本の歴史の要になる重要な役割を担っていました。


・争いを好まなかった縄文人・エミシ(愛瀰詩)

でも征夷大将軍の「夷(い)」には、もう一つ意味があります。それは「夷(い)」とはエミシ(蝦夷)をさすんです!
蝦夷(えみし)とは、おもに北東日本に住み、ヤマト王朝の支配に抵抗し、その支配の外に立ち続けた人たちをさします。つまり縄文人。
日本書紀は、このエミシを愛瀰詩(えみし)と書いています。これは、三文字とも麗わしい文字を使用しており、「えみ」しの「え」は愛をあらわし、「瀰」は水の盛んなさまをあらわし、「し」は「詩」です。愛瀰詩(えみし)は、古代の人々が「えみし」にあてた、尊称でした。日本書紀は愛瀰詩を「一人で百人に当るほど強いが、戦わない人々」と伝えています。詳しくはこちらで書いています。お時間がありましたらよんでみてくださいね。

エミシとは争いを好まなかった縄文人が起源。ですが、ヤマト王権はこのエミシを蛮族と称し、攻略することを正義とします。そして日本の歴史は、それを果たした征夷大将軍の上に築かれていきます。
なのでいつの時代も、朝廷を守る将軍の役割を「征夷大将軍」と呼ぶんですね。そして征夷大将軍は朝廷と並ぶ権力を持ち、幕府を開いていきます。


・縄文をタブーとしたヤマト王権 ~歴史をつむぐ正統性~

古くから日本に住んでいた先住民族。それが縄文人でありアイヌ民族。その彼らを、ヤマト王権はどんどん攻勢していきます。最終的にはほぼ日本全土を手中に収めます。それを成したのが征夷大将軍。
ですが征夷大将軍が、先住民族の縄文人を東征した、とすれば、ヤマト王権に都合の良くないイメージがつきます。なのでわざわざ、縄文人という記述を失くして、かわりにアイヌ民族という辺境っぽいイメージの民族をつくりだした。そして朝廷に従わない民族をやっつける正しさを浸透させました。
そしてそれは成功し、ヤマト王権は日本統治の正統性を確立します。それが歴史の授業で習う正しい日本史。なので正史では、先住民族である縄文人は野蛮でなければならず、縄文はタブーとなります。(これは縄文を調べて感じた、私の想像ですが・・。)

現在、アイヌ民族の縄文のDNA率は約50%~70%。本州に住む現代の日本人の縄文DNA率は10%ほど。どちらも縄文のDNAを受け継いでいます。受け継がれた縄文DNA率の差はありますが・・。
歴史に正しい、間違っているはありません。ただ権力者にとって都合が悪い事実がある時は、それをうまく隠したり?別の言葉に変えて、紡ぐだけ。そして現代の私たちは、縄文だけでなく、どちらの血も流れている。
日本の先住民である縄文の古いDNAと、渡来系の新しいDNA。そしてやっつけた側、やっつけられた側の両方のDNAを持って生きています。

縄文を調べておもしろいのは、自分がどちらでもあること。滅ぼされた側、滅ぼした側の両方の立場を持っていることに気づかされます。そこには善悪を超えた何かがあり、それが今の日本を形づくってきた。
現代の日本人には、縄文だけでなく、ヒッタイト民族、真正ヘブライ人、インドネシア、朝鮮・中国、いろんな血が流れており、日本人って世界で類を見ない、稀有(けう)な民族だと思ってしまうんです。また、イギリスのオックスフォード大学の歴史教授などは「日本人にはヒッタイト民族のDNAが受け継がれている」と断言しています。詳しくはこちらに書いています。もしお時間がありましたら、読んでみてくださいね。

そしてヘブライですが、日本人こそ、真正ヘブライだと感じることがあります。これは長くなるので、また機会があったら書けたらいいなと思います。
それにしても、争いを好まず、日本列島でマイナーな民族になっていった、日本の先住民族・縄文人。私はそんな縄文人がやっぱり好きです。


P.S.
小布施の雁田山の薬師浄光寺に「まめ家」というおいしい豆腐料理屋さんがあります。リーゾナブルにおいしい豆腐フルコースが食べれるのでおすすめです。




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本だけでなく、実際に現地に行ったりして調べていますが、わからないことが多いです。だからこそ魅かれる縄文ミステリー!縄文の謎解きははじまったばかりです。(*ᴗˬᴗ)⁾⁾💕ペコリン