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30年前の梅干し


まだま村にいると、時間の経過がわからなくなってしまうことがあります。
先日まだま村で、梅干し結びの会が行われました。夫の友人、知人の方が
8名ほど集まり、食事しながらいろんなよもやま話に花を咲かせた後、いよいよ30年前に漬け込んだ梅干しのかめを開ける事になりました。天井に近いところに、長い一枚板を棚がわりにして、左から古い順に置かれていました。高いところにあるので今まで誰も触ったことがありませんでした。夫も
80歳になるまでは絶対開けないと自分に誓ったようですが、2年前脳出血で倒れてしまったので、元気なうちにと公開日を前倒しにしたようです。梅干しは夫が30年前からずっと自分自身の手で漬けてきたので、自分の分身みたいなものだったと思います。みんなが早く開けてみたいと言うのを制して心の準備をしていたみたいです。
「先に私に見せてもらえんかな?」
車椅子に腰かけた夫は気弱に言います。梅干しがぐじゃぐじゃになってたらどうしょうと思ったことでしょう。

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「いいですやん、早く開けましょう!」
誰かが高い踏み台に乗って、梅干しのかめをおそるおそる引き摺り下ろしました。
蓋を開けると、
「うおっっ!」
というどよめきが聞こえました。1つずつそれぞれの人が手のひらに梅干しを取り、
「うーん、おいしい、深い味がする!」
「いい塩梅(あんばい)だ、いい塩かげんだ!」
と口々に言っておられました。
30年前に漬け込んだ梅干しが、色艶よく熟成されて、少しも変色せず、時の流れを全く感じさせないでいることに、みんなは目を見張っておられました。

人間の社会では、30年という年月は、赤ちゃんとして産まれて30歳という成人になるまでの長い道のりがあります。現にまだま村のカフェが始まった頃、おばあちゃんがお客で来ていて、その頃産まれたお孫さんが22年経って、まだま村で大学を卒業するまでバイトしてくれました。
人間として生きていると、長い年月には悲しみも喜びも、いろんな出来事が
次々に怒涛のごとくやってきます。30年の時を経て、その梅干しは棚の上のかめの中で、阪神大震災や、まだま村のすぐ近くが震源地だった大きな地震にもめげず、庭の巨木が2本根こそぎ倒れるような大きな台風にも遭遇し、大雪に潰されることもなく、何事も無かったかのようにただそこに存在していました。


毎月2回まだま村で縄文ママの愛情ランチを開催しています。
営業時間は12:00から14:00まで。
スケジュールは下記からチェックしてください。

ランチにはドリンクとケーキもついています。
費用お一人様3000円
https://madamamura123.com/eventschedule/

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