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【体験記】帰国子女なんです、一応

わたしは、父の仕事の都合で、3歳~6歳までの約3年半をロンドンで過ごしました。
既に小学生だった兄はロンドン日本人学校に、わたしは現地の幼稚園に通いました。私だけ、先生もクラスメイトもイギリス人です。
言葉の通じない環境で過ごすうちに、英語力よりもまず、周囲を観察する癖が付きました。なんといっても先生の指示が言葉では理解できないので、そうするより他になかったのです。

目の前に画用紙とペンが並べられれば、絵を描く時間だということがなんとなくわかります。そこで隣の子は車の絵、向かいの子は花の絵、後ろの子は人の絵を描いていれば、とりあえず好きなものを描いて良いらしい。隣も向かいも後ろも花の絵を描いていれば、どうやら絵は絵でも、花の絵を描く時間らしい、といった具合です。

体育の授業でも、みんなが走れば走る、転がれば転がりました。

一番怖かったのは、誰かが叱られている時でした。なんで叱られているのかがわからないと自分も同じミスをしてしまう可能性がある…考えろ…あの子だけがしていて、みんながしていなかった事…みんながしていて、あの子だけがしていなかったこと…。「あ、まだ食べ終わってないのにおかわりしたからか!?」。

また、週に一度、上級生が下級生に小説の読み聞かせをしてくれる時間がありました。1対1でバディを組んで読んでくれるのですが、正直この時間はお互いに地獄だったと思います。全然わからないのに一応聞いているふりをするのが気まずかったです。せめて絵本なら想像できたかもしれませんが。

ある日、園庭の遊具から転落して頭を打ったことがありました。ケガの連絡を受けた父が迎えに来た際、先生が冷凍グリーンピースの袋を父に渡しました。父は訳がわからず困惑していたそうなのですが、わたしはその冷凍グリーンピースで打った箇所を冷やせと先生は言っているのだと父に伝えました。その時父は、まだ3歳のわたしが先生の英語を瞬時に理解したのだと思い、驚いたそうです。でも実際は英語なんてもちろんわかりません。ただ、先生の話す英語を聴き取ろうと必死だった父とは別の見方をしていたように思います。わたしはそのシーン全体から観察・想像することが日課のようになっていたからです。

我ながらあんなに気を張っている3歳児はなかなかいないのではないかと思います。呑気に日本人学校に通っている兄を見て、明らかに妹のわたしの方がハードモードやんけ、と思っていました。母いわく、毎朝登園の際には泣いていたそうですが、不思議とそんなに嫌な記憶として残っていません。

そして、言葉が通じない場所でもなんとかなった、というこの経験はある種の自信になりました。その後は日本国内の小学校に3校通いましたが、「とりあえず日本語通じるし、余裕でしょ」という気持ちが常にどこかにあったと思います。

ちょうど物心がつくかつかないかの時期だったので、忘れていることがほとんどですが、その中でも覚えていることを記録として書いてみました。転勤族で良かったことについてもまとめてみましたので、リンクを貼っておきます。読んでいただき、ありがとうございました。


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