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私の部屋が宇宙空間になっていた話。

私の部屋、何よりリビングでまともに立てる場所は机の前の90平方センチメートル程度の場所しかなくなり、あとはベッドの上くらい。それ以外はゴミや衣服が散乱した、まさに現代の大量生産大量消費の化身の如き場所になってしまいました。

私は惰性のままにそれを放置していたのですが、いつしかそれらのゴミは部屋の中央に少しずつ集まるようになりました。
まるで、私のリュックを核にしているかのように。

そのリュックは私の苦難の象徴でした。教科書、レジュメ、パソコン…私にとって思い出したくもない記憶がまざまざと蘇ってきます。分からない講義、孤独の食事、馴染めない同級生。

私の念を吸ったリュックがきっと引力を持ってしまったのです。私は蠢くゴミを見ながらそう思いました。

衣服、ペットボトルのみならず、決して不用品ではなかったパソコン、タブレット、机、鍋、フライパン、タオルなどなど。もはや無差別にリュックは全てを吸い込んで、そして膨張していきます。本来の容量など軽く超越していますが、そんなことお構いなしにリュックはあらゆる憂鬱を飲み込んでいきました。

そしてその憂鬱を閉じ込めていた部屋もリュックの内側に入り込み、そして憂鬱を生み出していた私もまた、ご多分に漏れずリュックの強引な招待に抗うことは出来ませんでした。

リュックの内側には酸素がありませんでした。光もありませんでした。少なくとも私の視認できる、認識できるものは何もありませんでした。

ただただ私は藻掻き、足掻き、何か掴まれるものがないかと手足を動かした───気がします。もしかしたら消えていたのは私自身だったのかもしれません。
そして、果たして何年、何千年、何億…と私はそうやって無の海に漂っていたのでしょう。私はただ、なにかに触れようと何もない世界で延々と、悠久にも思える時間彷徨っていました。果たして地獄と言うべきか、はたまたこれこそが人の死であるのかはわかりません。あれだけ自意識に押しつぶされていた私は、何も考えずに指先の感覚を求めるという、ある意味では理性からの開放とも言えるのかもしれません。


そしてついに私は、なにかにふれることができました。指先から熱を帯び、まるで自らが燃えているかのような錯覚に陥りました。声は出ません、涙も出ません。しかしながらそこには感情の躍動が、音にすらならない嗚咽がありました。

そして私の網膜は、この宇宙とも言えぬ暗黒、静寂が始まって以来の光を感じ取りました。その光は私の体が発したものだと気づくまでに数秒もかからず、そして今から自分が滅びること。しかしこの滅びは終わりではなく黎明の、祝福の光であることに気づく必要すらなく、宇宙となったこの世界の産声を聞きながら、私は全てを受け入れました。



そうしてまた何十兆年か経って生まれたのが私です。

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