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津端修一さん・秀子さんとの出会い③

これまでのお話は こちら から。


訪問を終えた数日後、
修一さんから突然病院にお電話がかかってきました。

私はとてもびっくりして、
何か忘れ物でもあったかな、
訪問の際に何か粗相があったかな、といろんなことを考えながら
緊張して内線の受話器をとりました。

すると、
『あなたたちが帰られた後ね、私なりに設計を考えたのですよ。それをお送りしましたので見てみてください。設計チームの中の1人の案として思ってもらったら大丈夫でしょうから。』

ちょっと本当にびっくりしすぎて一言一句は覚えていないのですが
このようなニュアンスだったと思います。

。。。

何が起こっているのかよくわからないまま、感謝の気持ちを伝え電話を切りました。

想像だにしていなかった津端さんからの設計の提案。

え!えーーーーーー?!

驚きとワクワクした気持ちと同時に
これから何かとんでも無いことが起こりそうな予感とで
軽くパニック状態でした。


それから数日後、分厚い封書が届きました。

何枚にも渡る図面と
その土地で過ごす人々や植物の過ごし方が散りばめられたメモがついていたのです。

その中身は私たちの目指す施設の理念や価値観ととてもマッチしたもので、たった数日で!!これだけのことを考え描いてくださったの?!

スピードの速さに再び驚かされました。
きっと、常日頃から自然と調和した建物と人々の暮らしを考え、実践し、その経験が頭の中の引き出しにあられたからこそできることだと思いました。


そして手紙には

『人生最後の仕事として、無償で協力させてください』と。

これには全身鳥肌が立ちました。

津端さんからの電話口で感じた
これから何かすごいことが起こりそうな予感はまさにその通りになったのです。
津端さんは私たちの訪問の数年前に病院に入院したことがあったそうで、その時に感じた想いもあったのでしょうか。

無機質な建物よりも温かみのある建物、
周りの木々が起こす気象との兼ね合いも考えながらの配置
一直線にならない通路づくり、
そこにいると人々が健康になれる空間、、

そんな暖かい想いがあらゆるところに垣間見えるような素敵な提案だったのです。

そして津端さんもお住まいの、レーモンドの自邸と同じ空間。

これまでの設計案も悪くはありませんでしたが、
ここまで人と建物と自然の調和した関係を形にされている提案はありませんでした。

それからというもの事態は急展開。

病院側と、これまでお世話になっていた設計チームにも掛け合い、
それぞれでいろいろとありましたが、、

これまでの設計を一旦白紙に戻し、
津端さんの提案をもとに再スタートしていくことになりました。

それから約1ヶ月間、修一さんからは数日おきに設計に関する手紙が届きながらこちらも経過報告。

津端さんの案で進んでいきそうです、ということをとても喜んでくださり、

完成したら見にいきたいとおっしゃってくださっていた矢先、、

また、一本の電話がかかってきました。


それは津端さんではなく、東海テレビの方からで、

「修一さんがお亡くなりになられました。」と。

つづく