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津端修一さん・秀子さんとの出会い②

前回までの話は こちら をお読みください

津端さんご夫婦に会いたい!
そう強く願った私ですが、

住所もわからない
電話番号もわからない

さて、、どうすれば・・??

からのスタートでした。

方法は一つしかない。
本の出版社の方を通じて繋いでもらうしかない!
そう考え、勇気を出して出版社の編集者へ電話をかけました。

話の内容は緊張してよく覚えていないのですが、思いのたけを伝えると、
津端さんへお手紙を転送していただけることに。

第一関門突破です。

そこから丸一日かけて手紙の内容を考え、どのようにしたら津端さんに興味を持って読んでもらえるだろうかを考え考え、手書きで何度も書き直しながらようやく書き上がりました。

そして出版社の方へと送り、
しばらく経ったある日、、病院に一通のハガキが届いたのです。

それはまさしく津端修一さんから。

そこには

’暖かくなった春ごろ、お待ちしております。’

と。

もう大万歳でした!

それからというもの、津端さんとはお手紙とハガキのやりとりが続きました。
メールはされていないだろうし、電話の方がお手を煩わせずいいかもしれないから電話番号を聞こうか、とも頭をよぎりましたが、電話番号のお知らせは何もなく。

きっと、このような交流を大切にされているのかもしれない、と
そのままハガキでの日時調整が続きました。
そして何度かハガキのやりとりをしたのち訪問の日時が決定。

こういうところにも津端さんらしさや信念があったように思います。

ーー

そしてついに訪問の日。
心理士のスタッフと私、の2人でお邪魔しました。

玄関のない、窓から入るスタイルでご自宅に上がらせていただくと

そこにはすでにわたしたちが施設を作る予定の地域の地図がテーブルに広がっていました。

さっそく津端さんは、地図をもとにまずは周辺の山や川や地形をながら、私たちの病院のこと・プロジェクトのお話しを聞いてくださりました。

その視野の広さというか、’周辺の広い環境からその土地を見る’ ということに関する視点にとても驚いたのを覚えています。

今回はキッチンガーデンやお二人の暮らしぶりをメインに見せていただくことを目的に伺っていたのですが、修一さんが建築家ということもあり、
話の流れから、一応で持ってきていた設計図を見てもらったのです。

それを見た修一さんは「んー、残念だねぇ、、」と。

そういうと、秀子さんにスケッチブックと色鉛筆を持ってきてくれるよう頼み、修一さんのスケッチが始まりました。


どんなふうに風が流れてどんな景色になって、、

施設が目指す内容とここで過ごす人たちの心の状態も加味しながら

人々の過ごし方や大地に負担の少ない優しい建物に、、

周りには果樹が植わって、、

こんな畑だったらいいよねぇ?と、
時おり秀子さんに尋ねながらあれよあれよとスケッチが完成。

フリーハンドでラフ図が出来上がっていく職人技にはびっくりでした。

なんともありがたい提案。
ありがたくそのスケッチをいただきましたが、

実際のところ、別の案で基本設計までは完了していたので、
いただいた案を部分的にこれからの参考にさせていただくつもりくらいで頂戴しました。

その後は、秀子さんの温かいおもてなしの料理やご自宅の隅々まで案内をしていただきながら、

・雑木林と建物の関係で生み出される微気象という話
・津端家のキッチンガーデンと暮らしの循環
・噂のベーコン製造機のこと
・家具を長く大切に使っていること
・講演に出向いた時の数々の説明のパネルたち
・数々の記録が残っている書斎
・ヨットでの航海の話
・ヨーロッパの休暇やキッチンガーデンの話
・修一さん手作りのハチの物語

などなど、

コツコツと日々の暮らしを丁寧に生きながら時をためる・豊かに生きる暮らしの片鱗を見せていただき、感謝感謝でお別れをし、帰路につきました。

地に足をつけ、自然と共に生きる。自然の中で生かされている。
季節ごとのご褒美をいただきながら加工し、楽しく生きる。
丁寧な暮らしをしながらコツコツと時をためていく
未来に残したいものを明確に持ちながら暮らす

津端さんご夫婦の暮らしぶりに触れ、
そんな風に生き貫いておられる信念を感じました。

ーー

そして戻ってきてから数日後、
訪問の余韻に浸っている私のところに
一本の電話がかかってきたのです。。

修一さんからでした。

③につづく