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祖父の自転車

私の祖父(母方)は、自転車屋でした。
頑固者で、自転車の手入れをせずに壊してしまうものなら、お客であれ、叱られる怖い店主でもありました。

そんな祖父が高校生になった時に、ママチャリをくれました。
店にある自転車どれでもいいぞと初めて言ってくれて、のママチャリを貰いました。

こんな感じでした。

新しい自転車で、最初10km程ある高校まで、通学していましたが、剣道部に入った為、往復20km、我が家には山を二つ上らなければならず、剣道をみっちりした後の自転車通学は、2ヶ月程で、根を上げてしまいました。

そこで駅まで自転車で行き(それでも駅まで2.5kmありました)そこから電車で学校に通う事になりました。
駅には、駅前に広場があり、そこにみんな自転車を置いていました。
ちゃんとした自転車置き場も当時は無く、雑多に置いていました。一年生の秋頃、学校から帰ると、自転車がありません!
探せど探せど無いのです。
駅前には直ぐ近くに交番もあるのですが、それでも盗みが起こっていました。
交番に届けを出して、不自由なバス、電車通学を1ヶ月ほどした頃、家に電話がかかってきて、警察から自転車が見つかったとの連絡でした。

自転車は、駅の近くの質屋に入っていて、質屋の一斉検査で、大分の「自転車盗難登録証」が付いていた為、祖父に連絡がいったそうです。
祖父が、
「それは、ワシの孫の自転車です。」で、我が家に連絡があったのでした。
自転車は、盗まれた日のお昼にすぐ質屋に入っていたそうです。

防犯登録証
ボディに貼っていますよね

それからは、駅裏で不便ですが、友達の家で有料駐輪場をしている所に置いてもらう事にしました。

安心も束の間、3年生の春、絵画塾で、受験の勉強をしていた2時間の間にまた、自転車を塾の前で、盗まれました。
他にも自転車はあったのですが、私のだけです。
すぐ近くの交番に届けを出して、待ちました。

今度は少し長く、5ヶ月程経った頃に連絡がありました。
見つかるまで、2年生の時、取得した原付バイクで、駅まで通学することになりました。(一応、学校はバイク通学禁止でした)

我が家に、40km程離れた都市の刑事さんがやってきました。
人相の悪い刑事さんから、写真を見せられ、
「この人を知っているかな?」と尋ねられましたが、全然知らない人で、どちらかと言えば、刑事さんの方が人相も悪く、怖い感じでした。「知りません」と、返事をすると、今回も、その都市の質屋に入っていたらしいのです。
「自転車盗難登録証」を剥がそうとした形跡があるものの、剥がれず、またしても、大分の「自転車盗難登録証」で我が家に辿り着きました。

2回も盗まれたのに、戻ってきた自転車‼️
「自転車盗難登録証」を祖父がしていてくれたからで、感謝でした。
役にたつ事もあるもんです。

それからも、随分この自転車にはお世話になりました。

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