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スイカの思い出

社宅に住んでいる時、夏になるとやっぱり『スイカ』がよく食卓に出ていました。
どの家庭も『スイカ』を食べていた記憶があります。
前にも書いていたように、住んでいた所は、へき地で、山の上でした。

それで母が買い物に行くのですが、母は免許を持っていなかったので、自転車か、歩いて山二つ超えた先まで行かないといけませんでした。
帰り道は、山登りが待っています。
それでも昔は、夏には母が『スイカ』を買って来て食べていました。
昔は「カットスイカ」など売っていませんでしたから、買ってくる『スイカ』は、ちょっと小さかったですが、夜、食後に出てくるのは何よりのご馳走だった記憶があります。
半月に切った『スイカ』は、「塩」を振って、フォークで食べていました。

中学一年の夏、まだ、私が身長140cm位しかなくて、ひ弱だった頃、友達と街へ遊びに出掛けました。
すると、街の大きなスーパーで、「スイカ割り」大会があっていたのです。
友達と参加する事にしました。
友達は上手く割れなかったのですが、何せ、私は剣道習っています。
ここは!と、見事『スイカ』を割ることができました。

スイカ割り

その景品が、、、、『スイカ』だったのです。
ものすごく大きな『スイカ』で、片手で持つのも大変なくらいの『スイカ』でした。

景品は『スイカ』


「おめでとうございまーす!」と、
貰ったのはいいのですが、これを持って帰るとなると憂鬱でした。
だって、バス停も二つ山向こうで、家まで1km近く離れていました。
友達とも引きつった笑顔で別れ、重い『スイカ』を汗をかきながらバス停から落とすまいと必死に抱えて歩いて帰りました。
まぁ、両親はとても喜んではくれましたけど、、、。

ところで、このアパートには「生ゴミ」を出すところがありました。
共同浴場の近くに大きなドラム缶があり、その中に「生ゴミ」を入れるのです。家で、「生ゴミ」を小さなバケツに入れて出すのをよく手伝わされました。

ドラム缶の生ゴミ入れ


ドラム缶の蓋を開けて中に、「生ゴミ」を入れて、近くに水道があるのでバケツもゆすいで帰るのです。中には三角コーナーのまま持ってくる人もいました。
その「生ゴミ」は、養豚業者の方が、「豚」のエサとして持っていくのです。
ある時、風呂場の掲示板に
“爪楊枝が入っている時があります。
豚が、怪我しますので入れないように”と
張り出されていたこともありました。
昔は、豚のエサといえば「生ゴミ」(残飯)だったのです。
豚も可哀想なものでした。

その「生ゴミ」ですが、何故かスイカの皮は持っていってくれませんでした。固かったからでしょうか、「生ゴミ」としては出せなかったのです。
その為、ドラム缶の側に『スイカ』専用のゴミ入れがありました。
コンクリート製でちょっと深く、重い鉄製の蓋がついた『スイカ』入れでした。
夏になると、そこからなんともいえない『スイカ』の発酵して腐った匂いが漂っていました。

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