宇治山哲平画伯
私の通った大学で、おじいちゃん先生の授業がありました。
主に、鉛筆画や、油絵の授業です。
年寄りだからか、いつも二人もの先生を従えてました。
後に、そのじいちゃん先生は、『宇治山哲平』というまぁ有名な画家である事がわかりました。
二人の先生は、画家先生にいつも付いている「腰ぎんちゃく」と言われていました。
鉛筆デッサンの授業で、私ともう一人仲のいい友達は、描く時、3Bとか4Bの柔らかい鉛筆で、輪郭なんで無視のワシワシ描くちょっとがさつな感じの絵を描くタイプでした。
というのも、私が高校時代習っていた絵画塾の先生が、そういう教えだったからで、
「はみ出したところは後で消せば良い!」と迫力を重視した教えでした。
その塾の先生もおじいちゃん先生で、私が通っていた高校に長年美術を教えていた画家の先生でした。
友達の高校時代の塾の先生も同じタイプだったようです。
私の大学には付属高校があります。
大学には半数程の生徒が上がってきます。
その生徒たちの鉛筆画は、3Hとか4Hとかの硬い鉛筆で、幽霊のような繊細な感じの薄〜い絵を描いていました。(ちょっと憧れてはいました)
ある時、その宇治山先生から、「良いねー、迫力があるよ」と、私たち2人の真っ黒な絵が絶賛されたのです。
もちろん評価は、『A'』
そんなで、好きな先生になりました♡
付属高校出身の半数程の生徒は先生から低い評価しか得られませんでした。
付属高校なのにです。
『宇治山哲平』画伯は、どんな絵を描くのか
今のようWikipediaがあるはずもなく、図書館で調べたら、なんと、「抽象画」なんです。
クラスには、知っている人も多かったので、
私などは恥ずかしいものでした💧
『宇治山哲平』は、日田生まれで、木版画を制作していた後に、油絵のほうに転向した画家らしく、大分では有名な方でした。
ある時、油絵の授業で、静物を描いていました。
クラスの男子が、先生を真似て抽象的な絵を描いていたのです。
それを見た先生は、
「基本的な絵を描けてこそ、抽象画は描けるんだ、君は、まだ抽象を描けるまでいってない❗️」と凄く怒りました。
その彼は、付属高校出身で、先生からも怒られて気の毒でした。
凄く絵が上手く、優秀な子でしたから。
後日、先生の絵に、昔、普通の絵を描いている物を見つけ、修行がいる事を学びました。
そういえば、『ピカソ』も「青の時代」「桃色の時代」などを経てあの作風になったんですものね。
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