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【映画評】ジョージ・A・ロメロ監督『ゾンビ-日本初公開復元版-』(Dawn of the Dead, 1979)

19XX年、銀河のはるかかなたにおけるある惑星の爆発が、奇妙な光線を、宇宙を横切って地球まで届けた。
それは死者の変質を続々と引き起こした。生者の肉を求める、蘇らされたゾンビへの…(冒頭字幕:筆者訳)

 巨大ショッピングモールの商品群を背景に、マネキンとゾンビ、そして人間の間でショットが何度も切り返される。マネキンとゾンビを合わせ鏡にして、登場人物たちは、自分たちが主体的に消費(欲望)をしているつもりで、その実、消費(欲望)させられるだけの、いやより正確には消費されるだけの存在(客体)に成り下がっていることに気づくこととなる。三者の間にもはや違いはないのである。
 「事件」はすでに起こっており、「状況」は既に始まっている。取り返しがつかないこの世界で、問われているのはゾンビ(「生ける屍」という矛盾した、弁証法を失効させる身体)を前にした人間の「理性」である。「欲望」に身を任せる者は決して生き残れない。物(オブジェクト)即ち肉でしかない己の在りように気付き、かつそうなっても「狂気」に陥らない者だけが、このショッピング・モールという名の「人形の家」から——たとえそれが一時凌ぎに過ぎないにしても——脱出できるのである。

 さて、それにしてもなぜ死者が蘇って地上を闊歩しているのか、映画のなかではまったく説明されないので、この1979年公開の日本版冒頭にのみ上記字幕が付け足された。それから40周年を記念して2019年にその「日本初公開復元版」が改めて上映されたというわけだ。冒頭部だけでなく、ダリオ・アルジェント監修版(1978)とは細部が異なるように見受けられた。


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