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【映画評】ジョーダン・ルビン監督『ゾンビーバー』(Zombeavers, 2014)

 ビーバーとはアメリカ的建国精神を象徴する動物だ。しかもそれは、神話学的には「女性器」の象徴としてある。そのような存在としてのビーバーが、ゾンビ化してゾンビーバーとなり、羽目を外した若者たちを取り囲み食い殺すのであれば、そこに何らかの寓意——バーバラ・クリードのいうところの「ヴァギナ・デンタータ」(牙を持つ女性器)——を見出さないことの方が難しい。
 しかしここで見誤ってははならぬ。ゾンビーバーに噛まれた人間は「ゾンビに」なるのではない。「ゾンビーバーに」なるのだ。何と恐ろしい。ひとたび彼奴らに噛まれたならば、我々はもはや人間であることもゾンビであることもかなわない。ゾンビーバー、に、な、る…。これ以上恐ろしいことがこの世にあろうか。彼奴らのあの、いかにもぬいぐるみ然とした可愛い見た目に騙されてはならない。
 これが「13日の金曜日」シリーズ(1980-)よろしく、レイクサイド・キャビンを舞台とする1980年代以降のスプラッター・ホラーのパロディであることは論を俟たない。しかし、本作がまた、冒頭の樽のシークェンス(左上図)で、D.W.グリフィスの『ドリーの冒険』(1908)(左下図)に(たぶん)オマージュを捧げていることに、気づいた者はあるだろうか。恐ろしい。実に、恐ろしい。間違いない。ゾンビ映画史上、最高傑作に数えられるべき一本である。

※本記事はW・N氏による示唆がなければ書かれなかった。記して謝意を表したい。

〈参考文献〉:Barbara Creed, The Monstrous-Feminine: Film, Feminism, Psychoanalysis, Routledge, 1993. 

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