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【コラム】宮崎駿『ハウルの動く城』(2004)—戦火の「美女と野獣」

アルザスと『ハウルの動く城』

 『ハウルの動く城』の舞台がフランスのアルザス地方のコルマール(Colmar)(右から2番目の写真参照)とリクヴィル(Riquewihr)という二つの小都市をモデルにしていることはつとに知られている。その点について、プロデューサー鈴木敏夫も実際、以下のように証言している。

 美術については、フランスとドイツの国境にあるアルザス地方がモデルになりました。ここは『千と千尋』の制作で疲労した宮さんが、休養のために訪ねた場所です。アルフォンス・ドーデの小説『最後の授業』の舞台としても知られていますが、戦争のたびにドイツとフランスの間で領有権が行ったり来たりして、両国の文化が入り交じって残っている土地です。中でも宮さんが気に入ったのが、リクヴィルという古い町でした。「ハウルの舞台にしよう」ということになり、帰国後、宮さんは美術スタッフにロケハンに行くように進言。スタッフも現地を訪ね、それが作品に反映されています(鈴木敏夫「宮崎作品の中でもっとも苦労した『ハウル』」『ハウルの動く城』 43)。

 ということはおそらく、宮崎駿は『ハウルの動く城』で何もコルマールやリクヴィルの外観——コロンバージュ(半木骨造)の家並み——ばかりを作品に取り入れたのではない。イラク戦争が勃発した2003年に、アルザスという、かつて独仏の対立に激しく揺さぶられた土地の記憶を参照したからこそ、彼は、二大国家勢力のどちらにも与しない「動く城」に住い、逃げ回る「美女と野獣」のメロドラマを——やはりレジスタンスにもナチスにも与しなかったジャン・コクトーという作家の『美女と野獣』(1946)のイメージを直接引用しながら(左から2番目の図参照)——紡ぐことができた。

ソフィー、「帽子屋の老女」あるいは「つむぎ女」

 さて、戦おうとするハウルに逃げよと忠告するのはヒロインのソフィーである。荒れ地の魔女にかけられた呪いのせいで彼女は「老婆」にされてしまうわけだが、もちろんこれには理由がある。彼女はおとぎ話のなかにいる「老女」なのである。
 イギリスの批評家マリーナ・ウォーナーは、おとぎ話では、匿名の「つむぎ女」、つまり経験豊かな「老女」が語り手となり、暖炉を囲む若い聞き手たちとの間に双方向的関係を維持しつつ物語をつむいだと指摘し、さらに以下のように述べる。

 おとぎ話は、青ひげのような殺人鬼や「美女と野獣」の野獣を登場させ、彼らを魔法からときはなつ。現実をロマンス化しながらも、偏見をとりはらうことを目的とする媒体なのだ。ことなった社会的地位の女性たちが、主題が真に認知されるべく、手をとりあって物語を語ってきた(ウォーナー 44)。

 いうまでもなく、ソフィーという本作のヒロインの名はギリシア語の「ソフィア(知)」から取られていて、だから、彼女が知性をつかさどる「頭」に載せる「帽子」を扱う職人兼商人であるのにも必然性がある。もちろんこれは原作者ダイアナ・ジョーンズによる企図だ。小説では、ソフィーは三人姉妹の長女で、つまり彼女は『シンデレラ』のような「美しい(だけの)三女の物語」——そこで彼女は白馬の王子に竜を退治してもらい、王子に求婚される客体に過ぎない——を転覆する「賢い長女」——自ら野獣を手懐け、あまつさえその野獣に愛を告げる(現実をロマンス化し偏見をとりはらう)主体——なのである。
 しかし、上で述べたように、それ以上に重要なのは、彼女が「老女」の姿をもってこの物語(おとぎ話)の中に入り込んだ語り手、ウォーナーのいうところの——しかもカルシファーの暖炉の前に居座る——「つむぎ女」でもあるということだ。だからこそ彼女は、戦火の中、野獣と化しながら家父長的役割を遂行せんとするハウルに対し「逃げましょう/戦ってはだめ」と言い、周囲にも「あの人は弱虫がいいの」と告げる。そしてソフィーは、自らハウルの城を解体・再構築(武装解除)し、彼に心臓を取り戻し(野獣を魔法からときはなち)、ついには物語それ自体を改変してしまうのである。

〈参考文献〉『ハウルの動く城』、文春文庫[ジブリの教科書13]、2016年/Warner, Marina, From the Beast to the Blonde: On Fairy Tales and Their Tellers, London: Vintage, 1995 (マリーナ・ウォーナー『野獣から美女へ—おとぎ話と語り手の文化史』安達まみ抄訳、河出書房新社、2004年).
〈図版出典〉(右端図)『The Art of Howl's Moving Castle』、徳間書店、2005年。

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