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【試訳】L・ギシャールによるC・ノーラン『ダークナイト ライジング』評(Télérama, 2016)

仏『テレラマ』誌、ルイ・ギシャール(Louis Guichard)による『ダークナイト ライジング』(The Dark Knight Rises, 2012)評(抄訳)

 クリストファー・ノーランは「バットマン」三部作に、1980~90年代のティム・バートンのヴィジョンとは全く異なるリアリズムを投入した。バットマンは生来のスーパーパワーを持たない、技術と訓練によって作り上げられたヒーローでしかない。バットマンが活躍するゴッサムシティも、バートン版のような幻影的な都市では既になくなっている。大多数の貧者と少数の富者の間に社会的な不平等が生じているし、株価の不当操作などによって急激に落ちぶれる者が続出する始末だ。つまりそこは我々が生きる現在のニューヨークそのものなのだ。かくて、ブルース・ウェインも財産を失い、再び裁きのスーツとマスクを纏うことになる。「ネット上の評判」の悪さが災いして仕事に就けず、盗みを生業とする新キャット・ウーマンも登場する。コロラドの悲劇以降、本作が「マスクをしたテロリスト」を主題とする作品であることを我々は無視できない。(中略)我々はトム・ハーディーの魅力的な顔が、テロリスト役である為に終始ハンニバル・レクター風のマスクに覆われているのに驚かされるし、最後の重要な場面に彼が立ち会っていないのも残念に思う。だが、ノーランは超大作映画において巨大性と親密な情感を両立させられる唯一の作家である。

出典:仏『テレラマ』誌の『ダークナイト ライジング』評 http://t.co/DzjyXCAf


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