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地獄を生きるためのシスターフッド: "The Color Purple" by Alice Walker

 ここ数ヶ月、薄暗い大学図書館の書庫に籠っている時間が増えた。滞在時間が一番長いのはNDC分類933-934、米英文学の棚。表の書架に置かれない古い小説たちは、一世紀前の、されども現代と地続きの匂いを纏って並んでいる。Charles Dickens、O. Henry、Mark Twain、Henry James、少し時代が進んでErnest Hemingway、F. Scott Fitzjerald、George Orwell、名だたる作家たちの名作が連なる。うちの大学は文学系の学科があるわけではないので、ここに置かれる作品たちは予算の都合上、かなり厳選された著名な作品に限られる。蔵書数の少なさは少々つまらなく感じることもあるが、見方を変えれば、どの一冊を手に取っても、時の洗礼を経た折り紙付きの体験が約束されているということでもある。
 933の棚の中でさらに現代に近づくと、Paul Auster、Margaret Atwood、さらにJ. K. Rowlingなど、現代の日本でも聞き馴染みのある作家たちが増えてくる。1900年代の後半は、女性作家・blackの作家たちの文学が著しく花開く時代であった。そこで目に留まったのが、上品な紫の背に銀色の印字が見えるハードカバーの一冊だった。"The Color Purple"、1982年に発表されたAlice Walkerの代表作。Blackであること、女性であることが貧困、差別、死に直結する1900年代半ばのアメリカを舞台にした傑作である。発表当時にも多くの賞を受賞した作品だったが、2023年に映画化されたことで再び話題になった。

今年一番のページ・ターナー

 書庫から持ち出して席についた時には、そういえば話題になっていたな、これを次の一冊にしてもいいかもな…くらいの、「なんとなく」の熱量で手に取ったけれど、パラパラと数ページ読み進めてからの感想は、これ以上ないほど「読む手が止まらない!」だった。気がつけば休みなく100ページ以上読んでおり、図書館の閉館時間が近かったので貸し出しの手続きをして家に持ち帰った。こんな速度であっという間に本を読んだのはいつぶりだろう。家に帰って軽い食事をとり、そのままベッドに寝転んで最後まで読み終えた時には午前2時になっていた。

 なぜこんなに面白いのか?まず、全文が沢山の短い手紙の形式を取るという構成の素晴らしさを挙げたい。書き手の成長や社会的背景、手紙の宛先によって変わる文体は、書き手の見ている世界を、アイデンティティを、祈りを、一人称視点によって巧みに描き出している。手紙という形式を取っていることで、思いもよらぬ展開や複数人の書き手の登場、また宗教的な価値観の描写など、この作品の構成する多くの要素に強い説得力を持たせることが可能になっている。
 さらに面白いのは、一つの社会問題を、同じカテゴリーの、複数の人間のリアクションによって描いているところ。差別という壁にぶつかった人々がとる反応は一通りではない。登場人物たちの様々な反応(受容、反発、否認…)は、どれもあらゆる時代の人々に通じる人間のあり方として、親近感を持って感じられる。
 もう一つ、最大の特徴を挙げるならば、あまりにも厳しい世界を描く中で繰り返し描写される、シスターフッドの安らぎだろう。いわゆる"girls stick togather" 的な女性間の親密なやり取りや対話は、自分自身すら自分を人間として見ることができないような環境で、どうにか死なずにいる主人公を支える唯一の足場である。あまりにも辛いストーリーでも止まらず読み進めることができるのは、この蝋燭の明かりのような、僅かで不安定だが確かに暖かいやり取りが物語のあらゆる場面に差し込まれているからだろう。
 "The Color Purple"は、Alice Walkerの名とともに、女性であること、coloredであることを描いたその題材と、1900年代後半に出現した新たな文学カテゴリであることから注目される作品である。しかし一読者として強調したいのは、この作品はまず人間を描いた小説として、前提として優れた視線と技術があり、それゆえに面白く、多くの人に読まれ続けているというところ。これはMargeret Atwoodの作品を初めて読んだ時にも思ったな…。

地獄を生きるためのシスターフッド

 "The Color Purple"には様々な女性たちが登場し、主人公のCelieを中心に多くの親密な関係が築き上げられていく。無関心と保身から始まったCelieと義理の娘・Sofiaの関係は、掴みかかるような勢いの喧嘩と対話をきっかけに、ミソジニーに満ちた家の中を生き残るためのよすがになる。美しく経済的に自立した歌手のShugは初めはCelieを見下していじめるが、Celieの献身的な看病や触れ合いによってCelieを暴力的な夫から助けるようになり、ふたりは恋人にまでなる。Celieと生別した妹・Nettieは、届かないとわかっていても、お互いに祈るように手紙を書き続ける。
 彼女らの間のシスターフッドは暖かく、美しく、生き延びるために必要な足場として感じられた。その一方で、現代に生まれた私は彼女らのような関係を築くことはないのだろうとも考えた。生まれた時からモノのように扱われ、肉親の子供を産むことを強要され、妻ではなく召使か家具のように扱われる世界で生きねばならなかったCelieと異なり、幼い頃から当たり前に、自分には人としての最低限の尊厳があると信じ、学問を推奨され、同年代の男性たちと対等に接することが普通であった私は、生き延びるためにそうした関係を必要としないのだった。読みながら何度も、Celieの生きた世界を思い描き、自分の生きる世界を改めて眺め、内省する時間があった。SNSを開けば恋人の投稿が目に入る。私が彼と接していて"安全"を感じられるのも、対等な人間同士と認識できるのも、彼が不満や不安を(私のガサツさと傲慢さのせいで)感じていないかと考えられるのも、先人たちが必死に舗装してきた時代を歩いているからに他ならない。Youtubeを開くと推しているグループのライブ映像が目に入る。ステージ用の衣装を着て歌う彼らを「カッコいい」「カワイイ」なんて感じて応援できるのも、彼らの属性が私にとって当たり前に脅威や恐怖の対象にならないのも、彼らを尊重するために性的な目線を持たない意識があるのも、Celieの生きた世界からすれば、遠すぎて想像もつかない場所にあるのだろう。私が後の世代のために見せるべき後ろ姿は、"The Color Purple"の女性たちとは全く違う姿になるのだろうと思った。おそらく、私には私の、彼女らから一歩進んだところの仕事があるはずだ。

手帳に書き留めた読書日記を刺繍糸で綴じる。今回は紫色。

差別する人々の呪いを解く

 "The Color Purple" では、主人公Celieの父親、夫、義理の息子が登場するが、彼らはかなり強烈でtoxicな性規範に囚われていた。この作品の現代的なところは、彼らの、ほとんど呪いともいえる苛烈な差別主義を理解不能な悪役として終わらせないところにある。
 例えば、Celieの義理の息子であるHarpoの女性に対する認識は明確に親世代から受け継がれたものとして描かれ、その認識のために苦しむ様子が繰り返されている。彼は、当たり前のことを言っているだけの自分がなぜこんな目に遭うのか、と混乱し、苦しんでいる。Harpoの言葉は、彼の立場を、見ている世界を、読者にもありありと感じさせる力を持っている。
 彼の元を離れる妻・Sofiaの言葉は、たった一人のパートナーすら等しい人間として見ることができず、そこに人格があることを想像できないHarpoの寂しさを表すものとして的確だった。

I'm getting tired of Harpo, she say. All he think about since us married is how to make me mind. He don't want a wife, he want a dog.
(中略)
You know the worst part? she say. The worst part is I don't think he notice. He git up there and enjoy himself just the same. No matter what I'm thinking. No matter what I feel. It just him.

"The Color Purple", Alice Walker, 1982, p. 58

 一方、Celieの夫は、女性たちに見放された後、静かに晩年を過ごすうちに自らの呪いを少しずつ解いていくようになる。彼はついにCelieの方を見て彼女に話を聞くようになり、長い生活の後、彼らは初めて対話ができるようになる。晩年の彼の言葉は重く、静かで、美しい。幼い頃、母を手伝って裁縫をするのが好きだった。でも周りの人たちは男の自分が針を持つことを笑いものにして、それから裁縫ができなくなったんだ。何十年も経って、彼はCelieと話をしながら初めて裁縫を学び、服を縫うようになる。彼らは一度離別し、再び夫婦に戻ることはない。しかし、ふたりで家のポーチに座り、生地を縫い合わせ、愛した人の話をすることができる。
 彼の晩年の変化は穏やかで良いものに思えた。その一方で、彼がこのように変わることができたのは、彼の人生もまた、人種差別という壁とともにあったためではないか、とも思った。家庭内では妻を奴隷のように扱えても、一歩外に出れば肌の色、言葉遣い、貧困のために理不尽な思いをする。Sofiaが理不尽に刑務所に入れられたとき、彼は同じcoloredとして家庭内の女性たちと団結したのである。差別する人の認識を改める上で最も難しいのは、その人が属する社会においてこうした苦しみを知らないときなのかもしれない。それならば、現代において自由だと感じている自分こそ、姿勢を正すことを常に考えねばならないのかもしれない。


 書きたいことがたくさんありすぎてすっかり長くなってしまった。何気なく手に取った本が今年一番になるなんて!図書館にはAlice Walkerのエッセイ集なども多く置いていたので、また借りて読みたい。

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