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ポール・オースターが大好き

"4321"を読み返して思い出したこと


 初めてポール・オースターの作品を読んだのは17歳のとき。地元の本屋で見かけて何となく手に取った「4321」は人生で3番目に原語で読んだ米文学になった。

当時購入したペーパーバック。レンガ本と呼ぶにふさわしい分厚さ。

 特徴的なタイトルは、主人公の少年の"4通り"の半生 (= 4つのIFの人生) を辿る、という内容から。主人公の人生は、同じ家族、同じ時代に生まれたにもかかわらず、些細な出来事によって全く異なる4つの運命に分岐していく。20世紀のアメリカ社会に訪れる激動、少年の将来の夢から恋人関係、破滅的な欲望までもが若者の目を通して正面から描かれるこの作品は、当時の自分には真新しく、あらゆる方向に刺激的だった。主人公には成長とともに様々なジャンルの本を贈ってくれる大学教員の叔母さんがいるのだが、この人のセレクションが大変素晴らしい。幼い頃には各国の神話と児童文学を、成長とともに歴史的な古典や名作を…という具合で、文学を理解する教養のベースを適切に、段階的に形作ってくれる。主人公の成長過程は、いいな〜、こんなおばさまが欲しいよな〜などとぼやきながら読んだ覚えがある。作中に登場する作品はTBRリストにガンガン加えながら読んだので、この1冊は当時の私の読書体験にすんごい影響を与えた。

初めてオースターを読むなら


 しかし、もし私が初めてポール・オースターを読む人にオススメをするなら、"4321"は違うかな…と思う。というのも、彼の作品の中ではちょっと異色の作品だから。ポール・オースターといえば、リアリズムと超現実、メタファー、運命や魂というような物語を動かす見えざる力が混ざり合った作風が有名。この読み味、何か覚えが…と考えてみると、村上春樹とか、サリンジャーとか。元を辿ればフランツ・カフカの流れを汲んだ作家の一人なのかも。
 一番手軽に読めて、まずはこれ!と思うのは、The New York Trilogyより"City of Glass"とか、

The Music of Chance をぜひ!!と勧めたい。

 これらの作品に共通していて、かつ大好きなモチーフなのが、失われていく男の肖像、死にゆく(または消えゆく)男の物語。当然重たい話になるし、ポール・オースター好きを公言する知り合いさえ「あの人暗い話ばっか書くからなぁ」とコメントするくらいなのだけど、とにかくこれが面白い!!! 1人の人間の、魂の死が引き起こされる様が美しく丁寧に描写されるので、何がその人を人間たらしめていたか、何がその人を尋常なこの世界に留めていたか、ということが浮き彫りになる。
 そういえば、City of Glassは最寄りの図書館で、職員のおすすめとしてピックアップされていた。嬉しい。この図書館のどこかに、おそらく趣味の合う本の虫がいる喜び。図書館って、そこで働いている人たちが多分ほとんど本好きな奇跡の空間かもしれない。しかも、どちらかというと電子より紙派。嬉しい。

The Red Notebookを手元に

 City of Glassでは主人公が新しいプロジェクトを始めるために文具屋でRed Notebookを買うが、この手帳の呼び名を冠したオースターのエッセー集がある。タイトルも相まって、エッセー集というより著者のメモ帳の中を覗き見しているような気分になる。ポール・オースターの書き物を集めた本は色々あるけれど、やっぱり"The Red Notebook"なんて題されたものがあったら手元に置かずにはいられない。図書館の書棚にあるより、自分のベッドサイドにあった方がなんか、いいじゃないかと思う。嬉しくなっちゃう。表紙は黒いんですけど。

"The Red Notebook" (1995) と "The New York Trilogy" (1987)のペーパーバック

 中でもかなり好きなエピソードが、若き時代の貧乏生活で食べたオニオンパイの話。お金がなさすぎて食材も満足に買えず、古くなった生地とあまり物のタマネギでパイを作ったら、具材は足りないし内部は生焼けだったけど、今でもはっきりお思い出せるほど美味しかったという。思い出されるのは"Moon Palace"の主人公の極貧生活。あんまりお金がないので食べる量を減らしたり、お腹が空いて震える手で卵(最後の1個)を割ろうとしたら床に落としてしまったり。床に落ちても貴重なタンパク質源、黄身が割れてなきゃワンチャンある…と考えるも、古くなった卵は簡単に黄身が割れちゃって…。この一連の流れ、大学の学部生の時に本当に全くマジで完全に同じことをやったので、読んでびっくりした。そうだよな、床に落ちたって啜ってでも食べたいくらい飢えてるけど、黄身が割れちゃうとさ、何かプツンと気力を失うものがあるんだよな…。自分がこんなだったからか、ほどほどにお金のなさとか飢えの苦しみを知っている人になんとなく好感を持ってしまう癖がある。貧乏学生が謎の節約テクニックを開発しているのは、ドストエフスキーの罪と罰の主人公みたいで好き。作り置き節約術なんて手間がかかって洒落たものを実践する気力は残ってないので、だいたい食とか服とか、割と社会生活に関わるところを犠牲にしがち。

ポール・オースターを読んだあと

 ポール・オースターの作品を読んだあとは、だいたい1週間くらい放心して過ごす。"City of Glass"の時は3日くらいで済んだが、"Sunset Park"の読後は1週間くらい気持ちが重かったし、"Invisible"のラストでは完全に語り手と同じ気持ちで山を下り、憎悪とも恐れとも侮蔑ともつかぬ感情が頭の中にしばらく居候することになった。やっぱり目にした(読んだ、よりしっくりくる)出来事を消化するのに時間がかかるいい作品たちだ。そのあと、しばらくすると物語の構造やモチーフの意義、美しさについての感想がぷくぷくと浮かび上がってきて、ああこれが面白かったな、あれのこと調べてみないとな、などと頭が回り始める。こういう読書体験が一番楽しい。いろんな人の感想が聞きたいし、身近な人に読んでもらいたいけど、オースターを読む私の知り合いは多くない。村上春樹はおもしろいよねぇ、というあなたには、最高にぴったりな作家だと思うのだけれど、どうでしょうか。


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