【コラム】安倍元首相の国葬騒動から見える国のガバナンスの危うさ
はじめに
これまでも繰り返し述べてきましたが、私は安倍元首相の国葬には賛成の立場ですが、現在の政府の進め方に非常に危うさを感じています。なぜジョリーはこのような回りくどい主張をするのか、少し丁寧に論じてみたいと思います。
私の記事は政治や行政について何も知らない人が読んでも理解できることを大切にしていますので、中学生でもわかるような内容をわざわざ解説したりしていますのでその点悪しからず。
なお、細かいことを言えば学説等色々あるかと思いますが、あくまで中学生の公民等で習うような一般的な理解に基づいていますのでその点ご了承ください(明らかな間違いがある場合はご指摘ください)。
こんな形で「国葬」を進めていいのか?
さて、政府は2022年9月27日(火)に日本武道館にて安倍元首相の国葬を行うと閣議決定しました。
海外からたくさんの弔問があるであろうこと、最長の任期を全うされたこと、等を踏まえれば、私自身は国として安倍元首相の国葬には賛成です。
しかしながら何故私が現状に異論を唱えているのかについて、「民主主義」や「統治機構」という観点から、手続きに大変問題があると考えるからです。
「民主主義」を軽視してはいけない
日本国憲法の三原則は「国民主権」「基本的人権の尊重」「平和主義」とされています。このうち国民主権については、次の憲法が根拠とされているようです。憲法は日本の最高法規です。
主権者である我々国民は実に様々な考えや価値観を持っています。そうした考えの代弁者として我々は国会議員を選挙で選んでいます。そして、代表者が国会と言う場で話し合い、多数決で物事を決めるというのが基本的な間接民主主義の仕組みであるはずです。
もし、今回閣議決定のみで国会の議論を経ずに国葬を決めてしまえば、それに反対する国民の声というものが代表者(国会議員)を通じて政府へ届かないことになってしまいます。
内閣を構成する自民党は与党であり現時点で圧倒的多数なわけですから、内閣は堂々と国会で丁寧に説明し、反対意見も含めて審議をしてもらい、最後は多数決で決めればいいのです。
大切なのはそういったプロセスを主権者である国民にオープンな形で議論することです。その議論を見て国民は「内閣の説明はいい加減だな」とか「なるほど国葬にするのは納得した」とか判断できて、次の選挙での代表選びの参考にできるわけです。政府は代表者である国会議員を通じて、国民の意見をきちんと聞くべきなのです。
なお、これ前回記事でも述べましたが、きちんとした手続きで多数決で押し切ることは何の問題もありませんし、そこに対して強行採決だとかいう批判を恐れる必要は無いと思います。日本は法治国家ですので、基本的には公正なルールに基づいて透明性を確保し、然るべき手続きを踏むことでその行いが正当化されるのです。
「国権の最高機関」を軽視してはいけない
中学の社会科で三権分立を習ったことがあるのを覚えていない方もいらっしゃるかも知れませんが、国家には立法権、行政権、司法権の3つの権力があり、一つの機関が全部の権力を握らないよう3つに分散し、それぞれがそれぞれを牽制し合う形で、適正な権力行使に努めています。
立法権は国会、行政権は内閣、司法権は裁判所がそれぞれ担いますが、その最高機関は「国会」です。この理屈は極めてシンプルで、主権者である国民が直接選挙によって国会議員を選んでいるからです。
行政はいわゆる「〇〇省」のような官僚が実務を行っている場所であり、その行政のトップが「内閣総理大臣」であり、〇〇省の上にはそれぞれ「〇〇大臣」が任命されるのです。総理大臣と〇〇大臣を併せて「内閣」と呼びます。
内閣のイメージ・・彼らの指揮下で〇〇省の官僚は働いている。
国は「議院内閣制」という制度をとっており、国民が選んだ国会議員の中から内閣総理大臣を選び、内閣総理大臣は〇〇大臣を指名していき、内閣を作ります(組閣)。そして内閣に入った(入閣)メンバーが省庁や官僚を指揮し、行政権を行使するのです。
この内閣以下官僚機構のことをまとめて「政府」と呼びます
さて、行政は実際に法律に基づいて色々な施策を進めたり、予算を使用したりするため、大変大きな権力を持っています。
ただ、その法律や予算は原則的に内閣では勝手に作ることができず、国会の議決を必要とします。日本ではとかく内閣総理大臣が偉いと思われがちですが、あくまで国の最高機関は国会です。これは内閣総理大臣を我々国民が直接選挙で選んでおらず、あくまで間接的に選ばれているためだと考えられます。当然官僚も国民が選んだわけではありません。より国民に近い国会議員のいる国会こそが一番大切な機関なのです。
従って、原則的に国会で良しとしないことを内閣が勝手に進めてはいけないのです。
これを踏まえて先ほどのニュースですが、
「閣議決定」とは内閣の中で決められただけに過ぎません。そしてこの国葬は、国権の最高機関である国会を通過することなく、政府が勝手に決めて推し進めようとしているわけです。
こういった議会軽視が許されるのか?という観点からも、今回の国葬の進め方のおかしさがわかるかと思います。
「予備費」という闇
国葬については「法的根拠が無いのではないか?」という議論があり、これに対し岸田首相は「内閣府設置法」というものを挙げこう説明しています。
今回はここの是非ではなく、国葬を行う「予算」について焦点を当てて論じたいと思います。
予算のできる流れ
先ほど「予算は国会の承認が無ければ政府が勝手に使用できない」と言いましたが、今回の安倍元首相の国葬については、国会での議論を経ずに進められようとしています。
なぜこのようなことが出来るのでしょうか?
予算というものについて簡単に解説します。
まず予算というものは基本的に前年度に決定します。
各省庁で来年は「こんなことをやる」「あんなことをやる」といった具合で、どれくらい予算がかかるのか積算し、財務省と折衝します。これを予算要求と言います。財務省はこれらをとりまとめて「予算案」を策定し、国会へと提出します。
そして国会内で審議され、国会の議決を経て初めて予算が成立するのですが、これを「当初予算」と呼びます。
当初予算で想定できない事態への対応
しかし当然ですが、安倍首相の死は昨年度時点では想定できない事態でした。他にもコロナの蔓延や災害など、世の中想定できない事項はたくさん起こり得ます。こういう場合の予算はどうするのでしょうか?
考え得る方法は3つほどあります。
①あるお金でやりくりする
②補正予算を組む
③予備費を使用する
です。順番に簡単に説明します。
①あるお金でやりくりする
前年の予算要求時点では概算で多めに見積もっていることが多いです。政府のお金の支出は基本的に入札で行われることが多いため、実際の入札後は当初想定していたよりもお金が余ることが多いのです。従って予算と決算では大きな乖離が生まれます。
しかしあまりにも決算が余ってしまうと、次の要求の時に財務省に目をつけられてしまうため、余ったお金を他の形で流用することがあります。流用は完全に自由にできるものでも無いかと思いますが、一定許容されています。ただし、こうして確保できる予算は、額としてはそんなに多額になるものでは無いことが一般的です。
②補正予算を組む
当初予算の中で、想定していなかった出費が発生したときは、その時点で政府は改めて「補正予算」というものを組みます。流れは当初予算と同じで、補正予算もまた使用する前に国会で議決を経なければいけないものです。
従って一番王道な手続きで決まるのがこの補正予算だと言えます。
③予備費を使用する
今回メインでお話したい内容です。
予備費は「憲法」で定められています。
また「財政法」という法律にも定めがあります。
要は予め想定できない予算不足の事態に対して、使途を決めずに「予備費」という形で計上しておき、内閣の責任で支出をしたのち、事後的に国会に承諾を求める、というものです。
補正予算との違いは、「予備費」は最初から当初予算に組み入れておくのに対し、「補正予算」は当初予算とは別に予算を組むこととなります。
国会は予備費も含めて当初予算を議決しているため、予備費については「あとは政府で好きに使うよ」ということになっているわけです。
これでいいのか?予備費での国葬
以上を踏まえ、次のニュースです。
今回の安倍元首相の国葬については、③で述べた「予備費」を想定しているとの財務大臣の見解がありました。
財政法35条にもありましたが、「安倍元首相を国葬にすること」はすでに閣議決定されているため、財務大臣が「予備費を使う」といったらすぐにでも使える状態だということです。
確かに、安倍元首相の死は予想できない事態ではありましたが、この予備費は「予想できない事態だった」という理由で、内閣が閣議決定して国会へ事後報告すればなんにでも使い放題なのでしょうか?私はこれにすごく違和感を持っています。
この予備費制度がある以上、時の政府によって、国会での中身の審議を経ずに自由に公金が支出されてしまう恐れがあるのです。
安倍元首相の国葬は大変な賛否の声があります。なぜこのような賛否が分かれる施策について、政府は補正予算を組む形をとるなどして国会の審議を受けるのではなく、閣議決定だけで逃げ切るような形をとるのか、私には理解に苦しみます。
求められる予備費改革
やはり今の予備費は使途が限定されておらず、国会を通じた国民の監視が効かないという点で非常に問題があるように思えます。国会議員の皆様へは早急にこの予備費を改革して欲しいと個人的には感じています。
①財政法の改正による使途の明確化
基本的にはこれしかないと思います。「予見し難い予算の不足」とかいう曖昧な法律の文言のため、現状では内閣が「予見し難い」と言ってしまえば事実上好きに使えてしまえるわけです。
こういった予算が馴染むのはやはり災害などでしょう。災害が起こってからいちいち補正予算を審議していては国民の生命財産が危なくなってしまう可能性があります。従って災害時は早急に予算を執行する必要があるため、予備費が活きてくると言えます。
私は「急を要する場合」でかつ「災害等の非常事態である」といった具合に法改正し、政府が予備費を好き放題できないよう、国会が一定歯止めをかけるべきだと考えます。
②大統領制という道
これは憲法改正も伴い、現実的では無いので妄想みたいな部分もありますが、予備費のようなものを正当化するロジックとしては日本を「大統領制」にする、というものも考えられると思います。
議員内閣制が、政府のトップ(内閣総理大臣)を国会議員から選ぶのに対し、大統領制は政府のトップ(大統領)を国民が直接選挙で選びます。
繰り返しますが、何故現在の国権の最高機関が国会なのかと言えば、主権者である国民から直接選挙で選ばれているからです。内閣については、「国会議員が内閣の人間を選ぶ」というワンクッションをおいているため、政府は国会に監視されるべき、という考え方に基づいているのでしょう。
だから私も「原則的に国会の承認を経ずに、政府に好き勝手予算を使わせてはならない」と主張しているのです。
しかし、大統領制にしてしまえば、大統領を国民が直接選ぶことができるため、その予算の使い方の裁量も一定任せる理屈が立つかと思います。
日本において、国が議院内閣制であるのに対し、地方では大統領制に近い統治体制となっています。国民が、知事や市長などの「首長」を直接選挙で選んでいるという点が国とは全く異なる点です。
そして、実際地方自治体においては、首長が議会の審議を経ずに一定自由に予算を使用する権限が認められおり、これを「専決処分」と呼びます。
今回、この詳しい説明は控えますが、これは首長は緊急のときなどに議会に諮ることなく、予算を執行することができ、後から議会への報告すれば良いというものです。
もちろん、なんでもかんでも使えるというものでは無く、あまり乱発をすれば世間やメディアからも批判を浴びます。
大阪市でもこの専決をめぐって最近話題になっていました。
しかし、この専決のような概念が容認される背景には、「行政トップが直接選挙で選ばれている」というのが一つの根拠となるでしょう。
私は今回の安倍元首相の国葬について、日本が大統領制なのであれば閣議決定だけで許容される理屈も一定立つと思いますが、現状が議院内閣制である以上、やはり国会を通すべきだと思うわけです。
終わりに
時の政府が自分たちの好きなようにできないように、国会が牽制する。このように法律や仕組みで組織の暴走を止め、健全な方向へ向かわせる仕組みのことを「ガバナンス(統治)」といったりします。
ガバナンスは会社などあらゆる組織の中でも大切なものですが、国家レベルでも非常に重要な概念です。
私は地方自治体で働いてきましたが、自身の経験と比較して国のやり方を見ていると、何かすごく不透明だったり、国会と内閣がもたれ合いになってしまって意思決定が不明瞭だなと感じてしまうことが多くあります。
今回の安倍元首相の国葬論議を見るにつけ、今の国に必要なのは「国のガバナンス(統治機構)改革」であって、時の与党がどの政党であってもその人たちの主観や趣味で動かされない仕組み造りが絶対に必要だと感じています。
日本は政権交代がなかなか起きず、自民党一強政治が続いてきたため、こういったことに対する問題意識は起こってこなかったのかも知れませんが、これはまた仮に政権交代が起きたときに、今度は自民党支持者の方が困ってしまうような事態も発生しかねません。
そうならないためにも、特に自民党支持者の方には、今回の国葬議論について「当然だ」という議論を行わず、議員に対して慎重な議論を求めてほしいと思うのです。今回の閣議決定を許容してしまえば、いつか自身にとって納得できないことを閣議決定のみで強行されたときには、国会を通じて文句が言えなくなってしまうことを理解しておくべきだと思います。
今日はこのあたりで。
ジョリー
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