『忍びの星』第二話
本文
「ついにわしらにも、大海に乗り出す日がやって来たな!」
まばゆい朝日を望みながら、太郎太は晴れ晴れとしている。自由になった両腕を気持ちよさそうに振り動かす。いまにも大声で歌いださんばかりだ。
「気がすんだら、すぐ里に帰るからな」
対照的に善吉は不安そう。
太郎太と善吉は甲賀の隣郡の街道を歩いていた。まだ日が出たばかりのせいか、ほかに人の姿はない。
「ここはもう甲賀の外か・・」
善吉は周囲の様子をキョロキョロと見回す。異国の地を歩いているというだけでビビッているのだ。
「・・やっぱり里とはどことなく景色がちがうな」
そんなわけはないのだが、善吉は懐から印籠を取り出し、気休めに自作の不安を消す妙薬をのむ。
「東の空を見てみろ、善吉。土地は違っても御天道様はどこにいってもおなじじゃ」
善吉は朝日に目をやるが、それで不安がやわらぐでもない。
「ところでおれたちはどこにむかってるんだ? 目星はつけてあるのか?」
太郎太は待ってましたとばかりに、
「当然よ。行き先は兵馬の国じゃ」
「兵馬か。近頃とみに評判を耳にするな」
「現当主、尼中弾正殿の代になって以来、周辺国との戦は連戦連勝。昇り竜に例えられるほどじゃからな」
「よほど戦上手の殿様なんだな」
「ああ、だが一番肝心なのは、弾正殿は常から忍びを重用しておられるいうところじゃ」
「ふ~ん」
「というより、忍びを重んじるからこそ戦にも勝てるわけじゃがな」
善吉はハッとして、
「まてよ、まさか本城の兵馬城で仕官を乞うつもりか?」
本城とは要するに、国主が本拠としている国で一番立派な城のことだ。
「然り。弾正殿・・いや、弾正様ならば、わしらの主にふさわしかろう」
太郎太は胸を張っていいきる。
善吉はあきれかえって、
「相手は二百万石の大大名で、一国の主なんだぞ。身分卑しいおれたちなんか門前払いが落ちだろ」
「だからおぬしは世間を知らん。今は戦国の世じゃぞ。乱世じゃ。日の本中の大名たちが他国を切り取りたくてウズウズしておる。つまり喉から手が出るほど、優れた忍びが必要というわけじゃ」
「それはそうかもしれないけど・・」
自信満々の太郎太の意見に、またも善吉は押し切られてしまう。
「中でもわれら甲賀忍びは、いずこへ行っても厚遇されるそうじゃ。甲賀者の有能さはつとに知れわたっておるからの」
前方に二股のわかれ道があらわれ、二人は立ち止まる。
「さあ、兵馬城にむかうぞ!」
太郎太は高らかに宣言するも、
「・・それでどっちじゃ?」
さっそく方角がわからない。
善吉は太陽を見上げて、
「ええと、東があっちだから・・」
しばし逡巡してから、
「こっちだろ」
左の道に進みかける。
「まことにそっちか?」
太郎太の言葉に、善吉はピクッと立ち止まる。自信なさそうな面持ち。
踵を返して、
「地図を描いてみよう」
「ああ、それがいい」
太郎太と善吉はしゃがみこんで、地面に指で甲賀周辺の地図を描いていく。なんとも間抜けな姿。
「ええと、ここが甲賀じゃから・・・」
昼間なのに、夕暮れのように薄暗い通り道。周囲は切り立った崖のようになっている。
道幅が狭いため、太郎太と善吉は前後一列になって歩いている。
太郎太はけげんそうに、
「なんじゃここは? いずこの街道じゃ?」
「道じゃない。谷底だ」
善吉がどんよりと答える。
何をどう間違ったらこんなことになるのかわからないが、いつのまにか二人は街道をそれて深い谷底を歩いていた。
「腹がへってきたな」
「食糧はもう切れた」
善吉はそっけなく事実を告げる。
行く手が二手にわかれており、二人は立ち止まる。
「どっちにするんだ?」
「ちょっと待て、また迷いとうはないから──」
太郎太が懐から丸い塊を取り出す。見覚えのある木片だ。
それもそのはずで、二人が〈名誉の忍び〉に成りたいと祈願した祠に祀ってあった役行者の木像の頭部なのだ。
「役行者さまの御力をお借りしよう」
「それ、首をもいで祠から盗んできたのか⁉」
善吉はギョッと息を飲む。
「罰当たりなことを申すな。出立の日に拝みにいったら、自然に朽ちて首が落ちておられたんじゃ」
「・・それ、御利益があるのか?」
太郎太は役行者の頭部を両手で握って目を閉じ、何やら呪文を唱えはじめる。
「てんかめいげんうんじょうきみょうちょうらい!」
〈天下鳴弦雲上帰命頂来〉の呪文は、伊賀の服部家伝来の秘伝書『忍秘傳』にも記載がある。唱えると、行路の難を打破できるという。
「てんかめいげんうんじょうちょうらい! てんかめいげんうんじょうちょうらい!」
それから半日後──
「かように旨い汁粉は生まれて初めてじゃ!」
太郎太は感激して、手にしているお椀のなかの汁粉を夢中でがっついている。
太郎太と善吉は、街道沿いにある茶店の軒先の長椅子に腰かけていた。
「さすがは役行者様のお導きじゃ!」
あの後、谷底から運よく脱出できて、なんとか正しいルートの街道にもどってこれたのだ。そして生まれて初めての茶店体験に臨んだという次第。
「それにしてもなんという甘味の心地よさじゃ!」
太郎太はあっというまに一椀をたいらげてしまう。
「はい、おかわりどうぞ」
店の奥からお盆を手にした老婆があらわれ、湯気のたった汁粉を太郎太に手わたす。
「まだまだありますけに」
とにこやかに奥へ引っ込んでいく。
太郎太はまたすぐにがっつきはじめる。
彼のそばには、空になったお椀が高く積み重なって塔のようになっている。
(地獄の餓鬼さながらだな)
善吉は、その様子をあきれ顔で見つめている。汁粉はたしかに旨かったが、小食の彼は二杯も食べれば十分だった。
「今回はたまたま運がよかったけど、この調子だとまたすぐ迷子になるぞ」
太郎太は白玉団子をクチャクチャかみながら、
「心配するな。役行者さまの御加護を信じろ」
役行者様の御加護があってかあらずか、幸いにも山賊や魑魅妖怪の類には遭遇しなかったものの、二人の旅程はあっちへこっちへと迷走し、なかなか目的地に近づいていなかった。
「奥の奥にまで味噌が染み入って、なんと深い味わいになっとるんじゃ、この大根は!」
それはさておき、またも太郎太は茶店で感激していた。
今度の店のメニューは、一膳飯と大根の味噌漬けである。
全国の有力大名による最近の街道整備ブームのおかげで、街道沿いには宿泊施設や店を構えた町場がずいぶんと増えていた。とくに休憩場所と飲食を提供する茶店の充実ぶりには目を見張るものがあった。
「世の中に、かように旨いものがあろうとは!」
太郎太は舌鼓をバンバンと打つ。
「いや、食い物ばかりじゃない。こうして腰かけておるだけで苦しい旅の疲れも癒される。なにゆえ、かように素晴らしきものが甲賀にはあらぬのじゃ」
「さあな」
善吉は白け気味である。
「なんじゃ、この桜飯は! 信じられん!」
太郎太がまたまた茶店で感激している。
ちなみに桜飯とは、醤油味で具のない炊き込み御飯のことである。
「当世一、いや天下一の旨さじゃ!」
「前の店でもおなじこといってたろ」
善吉はうんざりしている。
「では日の本はじまって以来! いや、天地開闢以来の旨さじゃ!」
さらにおおげさに感動を叫ぶも、
「それより太郎太、さすがに呑気すぎないか?」
と善吉がそれに水を差す。
「心配するな、銭はまだたんまり残っておる」
そばにおいている鹿皮の巾着袋の口を開いて中身を見せる。紐を通して輪っかにしたピカピカの永楽銭の束がどっかりと二つも入っている。太郎太が地道に家からくすねて貯めていた銭だ。
「そうじゃない。おれたちは兵馬へ仕官にむかってるんだろ。時を無駄にしすぎじゃないのか?」
太郎太は余裕の笑みを浮かべて、
「あせるな、善吉。ここまでくれば、兵馬はもう目と鼻の先じゃ」
だがそれから三日後──
二人は、どんづまりの岸壁で呆然と立ちすくんでいた。
眼前には大海原が広がっている。しかも風の冷たい日本海だ。
太郎太は不可解そうに、
「なんで海に出るんじゃ? 兵馬はどっちじゃ?」
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