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英詩: トマス・ハーディ 『遺伝』 原文と拙訳と所感


作. トマス・ハーディ
翻訳. 出雲 幽

遺伝

私こそが家族の顔つきなのですよ、
肉体が朽ち果てても、私は生き続けます、
特質と見取り図を伝えるのですよ、
時から時へと、
そして空間も飛び越えて
忘却なんて私めにかかれば。

年数を経ても相続される見目形
それは曲線に声音に瞳に宿っている、
けれど人間の一生に
幽閉されている、それが私なのです。
人間のなかの永遠なるもの、
死に拝礼することもなし。

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Heredity

I am the family face;
Flesh perishes, I live on,
Projecting trait and trace
Through time to times anon,
And leaping from place to place
Over oblivion.

The years-heired feature that can
In curve and voice and eye
Despise the human span
Of durance -- that is I;
The eternal thing in man,
That heeds no call to die.

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詩の題名のheredityの意味は、一つ目が 遺伝、二つ目が 相続、世襲。

擬人化されたheredityは大仰に自己紹介を始めていく。一族の顔つきに私は宿っている、一人の人間の肉体や意思が一代限りのものであろうと私は次の世代へ乗り移っていくって永遠に生き続けると。

遺伝子に意思があったなんて知らなかったが、彼?の言わんとすることはまあその通りだ。個人はわずかな時間しか生きることができないが、遺伝子は親から子へと渡り歩いて悠久の時間を生き続ける。私が遺伝子だったら自分のことを律儀に引き継いでいってくれる人間を見てさぞ優越感を感じてほくそ笑むだろう。
ハーディらしい皮肉と無常に満ちた詩。でもそこまで暗い気持ちにはならないのだ。それはやっぱり何万年と生きてきた尊大で意地悪なheredityに、数十年しか生きていない私ごときがかなうわけがないと妙に納得できるからだ。もっともっとheredityにとって人間がいかに矮小か高説を垂れていただいて私を惨めにしてほしいと思う。(ハーディにはまれる人間は真性のマゾヒストだよ、きっと。)

この詩と小説の関連といえば、思えば『テス』でダーバヴィル家のご先祖様の肖像画が出てくる場面で、主人公の不幸が一族の気質や行いによるものとほのめかされる場面があった。過去から張り巡らされた因果に主人公は縛られていて、現在の自分の決断も自分や次の誰かの人生に不可逆的な影響を引き継がせていってしまう、小説はそのことの残酷さを執念深く描いていた。
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