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Vol.4 あの時の私(2021年11月24日)

 実家で2人暮らしの両親にこまめにメールを送るようにしていました。特に母には毎日。短い文章で「今日は寒いね」や「そらくん(ペットの名前です)元気?」など。このメッセージを送る行為は、私の感情と向き合うと決めた頃から、チャレンジの気持ちではじめました。当初は「メッセージを送らなきゃ」という気持ちが結構強かったなぁ。どこかで親を気にかける良き娘でいよう、母の期待に応えよう、そんな感情もあったのでしょう。わたしの思いに無視をし、母に寄り添った行動だったな。
 私の内側から、自然に「母はどうしているかな、変わりないかな」と、わたしの思いを私が実行するイメージです。
前回(Vol.3)の後、「母にメッセージを送らなきゃ」という使命感のようなものが、結構小さくなったな、と感じていましたが・・・

なかなか表に出ない私の感情

身近な家族や職場など、当たり前だけど、普段の生活の中で比較的関わりのあるところで私の中のざわざわ〜は、起こります。
感情が揺さぶられるのは、自分により近いところで感じます。夫、息子(特に長男)、職場の同僚など・・・。まぁ、当たり前か〜。
 念のためですが、ここで登場する身近な人に問題がある訳ではありません。その人との関わりの中で、私の内側に起こる「感情」のお話です。
 私の内側の真っ黒くてどろどろした得体の知れない物体は、マイナス感情を吸い取ってどんどん成長します。成長した物体はマイナス感情を生み出すので、怒りの沸点が下がるという悪循環。私って、どうしてこんなにすぐにイライラしちゃうんだろう。穏やかにコミュニケーションを取る人達が羨ましくて仕方がない。真似してみても、感情に蓋をするだけなので、すぐに溢れちゃう。
私はすぐにイライラするなんてダメなやつなんだって・・・←癒すところがたくさんある!でも焦らない。無視しない。丁寧に。大切に。慈しむ。そして愛を注ぐ♡

つい最近まで、家族(祖父母、両親、弟)で出かけるのがすごく嫌でした。他人に「家族」という単位で認識されるのが、すごく嫌だった…。一緒にいるのが恥ずかしくて、同族と思われることに、とてつもない嫌悪感がありました。深くて暗くて何とも言えない負の感情・・・。
中でも特に、母。やっぱり母。またしても母。
街中で見かける家族の温かさを感じて、実は羨ましいと感じている私がいることを認識。羨ましいということは、そういう関係性を求めているのかな。そうした気持ちすらも否定したくなります。

そんなことを考えていたら、思い出したのです。小学校の卒業式の後、寒い体育館で家族と一緒に食事をするという、迷惑極まりない羞恥プレイ。今でいう謝恩会的なものだったのかな。1家庭につき家族1人の参加。長机がロの字に配置されていて、向き合うように親子で座っていたと思います。どの家庭も母親が参加されていたように思います。

味はすっかり忘れたあの時のお弁当…

ご飯を口に運び、その後すぐにおかずを投入。白いご飯が苦手だった当時、おかずの味で白いご飯を食べやすく変化させる、そんな風に食べていました。
そんな私を見て、母は笑いながら言いました。「ご飯とおかず一緒に食べるの?」と。
なんか、やっちゃいけないことをしたように言ってきました。もしかしたら、美味しいねとか、他のことも話をしながら食べていたかも知れません。でも、突然言われたその部分と、その時の感情が鮮烈に蘇ってきたのです。

ひどく傷ついた私がいることを改めて意識しました。「私、傷ついていたんだ」と感じて、ハッとしました。傷ついた私を認めていなかったし、慰めてもいない、数十年、その感情を知ってて無視してきたのです。

嫌な記憶として認識していたけど、その気持ちを避けるようにして、その時に傷ついた わたし を蔑ろにし続けてきたことを突きつけられたような感覚。
うまく表現できませんが、改めて認識して驚きました。
知っていたけどあまり深く捉えてこなかったこの感情を、早速、癒します。

・みんなの前で言われて恥ずかしかった。
・どうして人前で行動を指摘するのかな。そして笑うのかな。私、やっちゃいけないことをしたのかな(不安)。
・「お母さん、なんでそんなことを言うの??」母親に傷つけられたことに対する衝撃と悲しみ、そして怒り。
・信用できない人、いつ傷つけてくるかわからない人。
・近寄りたくない、距離を置きたい人。

私、傷ついた。とっても傷ついた。すごく悲しかったんだ。
そうだよね。傷ついたよね。悲しかったよね。今まで無視してごめんね。許してねって、あの時、あの場所へ行って、抱きしめて、頭をなでながら「好きに食べていいんだよ!」って言ってあげたい。美味しいね。こんなお弁当、はじめて食べるね。卒業、おめでとう、って。
傷ついた気持ちに時間をかけて寄り添います。自然と感情がゼロポイントに戻ってくるまで、焦らずに、そっと抱きしめます。

傷ついたあの時の私を徹底的に癒しました。そして、クリーニング*もしました。
つい先日、母に対する感情を紐解き、解れたかなと思っていましたが、簡単にはいきません。
こうして、傷ついた「わたし」を見つけては、向き合い、癒し続けるのです。

*「クリーニング」は、以下を参考にし、私なりの解釈で実践しています。



変化

そんな折、母から電話がありました。今まででの私は、平静を保つこと、感情の揺れを抑えること、そんなことを意識しながら話をしていました。←この時点でもう感情が揺れまくりです。

それが、なんていうのかな。こう、わたしの中のポイント(胃と心臓の間あたり。感情のゼロポイント)が落ち着いているのです。
外側の環境に左右されず、内側が静かなのです。これまでとなんか違うと感じます。

どれ程、外側の環境に振り回されてきたのか、をより深い場所から知ることができました。


今、思うこと

体育館での出来事は、母に対する感情の記憶の中で割と上位にあった出来事でした。
noteに書き起こして改めて気づいたことがあります。
なんか大したことなくね?って。
とても傷ついた私がいるのは間違いなく事実でした。
それなのにどうしてあんなに「あの時」に縛られていたのでしょう。不思議です。
こうしてここに書いて本当に良かったと思いました。光を当てることができたかな、と思います。

母は相変わらずですが、今現在の私の感情は、穏やかだと思います。毎日ではないけど、こまめに近況報告をしています。母の言動に対して、私の感情は結構フラットなのです。

これは私にとって、すごい変化!!

あの頃は「一生許さない」って本気で思っていましたから←改めて文字にしてみると結構強烈ですね。

そして感情に向き合っているようですが、気にしないフリをして無意識に蓋をしている別の感情(母とは別のところのお話)も生まれていました。
この頃はまだ明文化していませんが、明らかに存在していましたので、ここにメモとして記しておきましょう。


気づき

その時に癒された、と感じたことでも、後からまた何とも言えないモヤモヤが発生することもあります。その場合、まだ、消化不良の部分があることを意識にあげます(これ大事。無視しない!)。
そして消化不良の部分が何なのか、を、丁寧に覗くの。覗いたら見えるから。癒せるから。
消化不良があるのか、ないのか、これを自分で気づけるってすごいよね。
そして、全て自分の中に答えがあるんだ、って改めて認識しました。

気づきって、しっかり意識化して認めるところまでする必要があります。そうしないと、その気づきは意識の深い部分に重なってしまって、また見えなくなってしまうの。

気づけたことに感謝です。



お知らせ

Kちゃんのレッスンは今も続いています。ご本人の了承を頂きましたので、内容が気になる方は、是非、ご覧くださいね。
Kちゃん、いつもありがとうございます。これからもよろしくお願いします♪

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