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教え続ける事が優しいことと誤解していませんか

定型的な仕事と非定期的な仕事

先日ある商社の2022年の新入社員と話をする機会がありました。
その新入社員曰く、「先輩が優しく教えてくれるので良い職場に配属された。」とのこと。
なるほど、優しく教えてもらえば仕事ができるようになると思っているのかと思いましたが、優しく教えてくれてできるようになるのは、やり方が定まっている定型的な仕事の場合です。
正しいやり方があるから、教えてもらってできるようになるのです。
しかし、商社のように営業がメインとなるビジネスでは、唯一これが正しいというやり方は存在ません。
なぜなら、営業マン自身それぞれキャラクターが違いますし、お客様のキャラクターもそれぞれ異なるからです。
明るくてよく冗談を飛ばす先輩のやり方を生真面目で実直な後輩が行ってもうまくいくはずがありません。
このように正解を自分で作り上げる非定型的な問題が社会に出ると大半です。

見習い制度

そうなると必要なことは何か?
その商社では、昔「見習い制度」と言っていました。
新入社員は先輩を見習い、先輩は見習われていることをよく認識して行動してほしいという意味だと理解していました。
しかし、体制が異なりこの「見習い制度」という言葉は使われなくなりました。
おそらく、古臭いという認識で廃止したのだと思いますし、体制が変わると前の体制が言っていたことを否定したくなるという良くある流れだと思います。
しかし、本質はこの見習いにあると思います。
多くの先輩の良いところはまず見習って真似する。
その中で、自分に適したものを探し、自分のものにする。
更に自分で考えて工夫し、新しいものを作り上げていく。

端的に言えば、昔から言われている「守破離」の事です。
まずは師匠から教わった方を徹底的に「守る」のが守。
いわば基本を身につけることです。
次に、他流派の型なども含め研究し、自分に合ったより良いと思われる型を模索し試すことにより、これまでの型を「破る」のが、破。
そして、新しく自分の形を作り上げ既存から「離れる」のが離。

成長の苦しみ

言いたいことは2つです。
一つは、人間ですので本質はさほど変わりません。
古いから陳腐化しているというわけではなく、新しいから素晴らしい理論というものでもありません。
流行ではなく本質をしっかりつかむことが必要ということ。
もう一つは、教えられ続けていると成長はしないということ。
必要なのは、教える側も教えられる側もどこかのタイミングで、自分で考えることに力点を置くことが必要であり、自分で考えることは不安で苦しいものであることを理解することが必要です。
成長の苦しみを楽しめるかどうかですね。




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