『路上のX』を読んで(1周目)


『トー横界隈』


─行き場を失った若者たちが集う街─


福岡にも『警固界隈』と呼ばれる『トー横界隈』と同じく若者が集まる場所があり、そこで補導活動が行われた、というニュースでの特集を最近目にしました。


行き場を失った若者たちの増加、それが今、問題となりよくニュースや記事で取り上げられています。


今回ご紹介する本は桐野夏生先生の『路上のX』です。


「何故、冒頭に『トー横界隈』のことを書いたのか?」


それはこの『路上のX』を読みながら筆者の脳内に自然と思い浮かんだのが、この『トー横界隈』だったからです。


もう、察しの良い方なら本の内容について予想がついたかもしれません。
ええ、そうです。
この物語は本来あるはずの『家族』という身の拠り所である場所を失い、それでも懸命に生きていこうとする三人の少女を描いた小説になります。

雑なあらすじ紹介

一家離散によって幸せな生活を失った女子高生の『真由』

義父の虐待から逃れ街で身を売る『リオナ』

二人が運命的に出会い、共に生きる決意をする。

この二人が親元を離れ遭ってきたこと、遭っていくこととは何か。

そして彼女たちを待ち受ける『コト』とは何なのか?

感想

上がこの『路上のX』の簡単なあらすじとなります。

(この先、人によってはネタバレと感じるものになります。知りたくない方はブラウザバックし、『路上のX』を実際に読んでみることをお薦めします)





─『親』という生き物と『子』という生き物─



この小説を読んで感じたことは『やはり親と子は全く別の生き物であり、だが、同時によく似た生き物である』ということでした。



この作品では『真由』が親戚の家に居候している場面から始まります。
何故、『真由』の家族が離散することになったのか。
それは父親が作った借金によって夜逃げしたためだと言うのです。



『真由』は親戚の家をある理由から飛び出し、最初は一人で生きていこうとします・・・


ここから、沢山の目にあっていくのです・・・。



・・・と、感想を書くはずなのに、またあらすじを書いてしまっていましたね。


簡潔に結論をお話しすると、「身勝手な親の下に生まれた子供の苦悩」

それがひしひしと伝わってくる作品でした。



子供がまるで親のモノのように扱われ、親はそのことを「あなた(子供)を想って」故の「あなた(子供)を愛して」故のことだと言う。




この作品に書かれている『親』という存在は『親』であっても『親』ではない。

(『親』と言うモノの定義がすごく難しいですね)



ともかく、今、社会で理想とされる『親』ではない。

『子供』のことなど考えているふりをしているだけで何も考えていない。



自分の身勝手な『想い』が先行している『親』・・・。

一人の人間としての『想い』が先行している『親』・・・。


そんな存在が描かれていました。


私はよく子供達やその親御さんを見ているのですが

(自分の実体験も含めて)


『子供』をモノとして扱っている『親』が多いと思います。



いや、元より『親』にとって『子供』はモノだった。


愛という免罪符を使い、子供の無知をいいことに、その純粋さを利用する



その典型例として描かれた作品だと筆者は感じました。

そしてそうやって育てられた『子供』もいずれは『親』になるときが来るかもしれない。


そして、その時・・・


・・・・というのがこの『路上のX』を読んでいての感想(?)でした!

興味を持たれた方は是非読んでみてください!


明日は乙一先生の『Goth』の感想をあげたいと思います。


本日もお付き合い頂き、ありがとうございました!


それでは良い夜を!


また、明日、お会いしましょう。

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