【小説】CASE2:ハタケント

ケントは、まじめな少年だった。

物心ついたときに、彼のそばに母親はもういなかった。幼稚園、小学校を思い返せばただ鮮明に浮かび上がるのは忙しそうな自分の父親の顔。自分に向けられる父の顔はいつも笑顔だったけれど、布団から毎日こっそりと見ていたその顔の方が、ケントの記憶には強く残っていた。

ケントは、いつしか父の笑顔が怖いと感じるようになっていた。
中学生のころ友人の家に行ったとき、友人の父親は笑顔など見せなかった。笑っていたのはむしろ母親の方だ。ケントが来たことに笑い、父親の帰りに笑い、ケントを見送るときも笑っていた。
次の日、友人たちに「みんなのお父さんは笑わないの?」と聞いた。
「いつも疲れた顔をしている」
「怒ると怖い」
そんな答えばかり出てきた。

ケントは母親を知らない。自分に笑いかけてくれる母親を知らない。
ケントは父親を知らない。疲れた顔が自分に向けられなかった分、その笑顔が怖いとこのとき思った。


父を怒らせたくて、疲れた顔を見せてほしくてわがままを言った時もある。
それでも笑顔は崩れなかった。
ケントは高校にあがると、父の笑顔を崩さないことに努めた。
そうして有名な地方の国立大学に合格した。
地方を受験した理由は1つ、父から離れたかったから。

引っ越しの日、いつもの笑顔で父は通帳とキャッシュカードをくれた。
優しさもここまでくると恐ろしく、ケントは体の震えが止まらなかった。


大学に入って少しして、父親が死んだと知った。
ケントは、すぐに実家に帰る荷造りを始めた。
なぜか心は穏やかで、頭の中は父の眠る顔で埋め尽くされていた。

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