世界はなぜ広いのか〘3〙──隠された意味、隠された解釈
あらゆる言葉、あらゆる行為、あらゆる現象、あらゆる“経験”には、その意味に関する決定不可能性としての剰余が存在する。
その剰余には、普段日常的には使わない、使ったとしても額面通りには汲み取られないかたちでやり取りされる〈隠された意味〉〈隠された解釈〉が充満している。
そのような剰余はなぜ存在するのか。
その問いかけは「世界はなぜ広いのか」という問いかけと裏表の関係にある。
剰余に入り込む〈隠された解釈〉を、ここで仮に《超越論的解釈》と呼んでおこう。
この《超越論的解釈》という名付けはもちろんカント以来の伝統的「超越論性⇔経験性」の図式から由来する。
《超越論的解釈》はいわゆる「深読み」の理念(モチベーション)として現れるが、陰謀論やオカルトの存在がこの理念の不可避性と危険性を同時に突きつけている。
「深読み」は常に「単なる思い込み」に回収されてしまう“せつなさ”と紙一重だ。
さらにこの理念が宗教的に搭載された場合、その人はあらゆる声と現象を「神の声」として解釈するようになる。
日常レベルのコミュニケーション内でこの《超越論的解釈=深読み》がむやみに発動すると、その人は激しい思い込みの末、疑心暗鬼に陥り、精神を病み、統合失調症と診断されかねない孤独な認識を得るに至る。ドゥルーズ的世界観。
いやはや、スキゾフレニア、スキゾフレニア・・・。
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