【文献レビュー】Public Healthと公衆衛生学

 今回は、2012年6月に公表された論文のレビューを行います。この論文は医学教育第43巻第3号に掲載されています。

文献の詳細
・フォルダ名:2.1-1000
・ファイル名:2_marui_0001


要旨

 公衆衛生(学)は、Public Healthを日本語に翻訳した用語であるが、意味するところは同一ではない。これには、歴史的背景によるズレがある。日本の医学教育における公衆衛生学の位置付けは、基礎医学、臨床医学、社会医学(social medicine)として、医学の一部として位置づけられることが望ましいとされている。Public Healthとしての公衆衛生学は、独立した領域として、医学生のみならず広い対象について教育を行うことが主となっている。

臨床医学、衛生学そして公衆衛生学

公衆衛生学と臨床医学との対比

 世の中を2分割して「健康人」と「患者」からなるとする。分数で表すと、臨床医学は「患者」である分子のほうを対象とする。そのため、医療は個人に対する個別の治療をすることが主体となり、病気を持った人々を減らすことが目的である。それに対して、公衆衛生学は分母をみる。「健康人」と「患者」と合わせた人口全体を対象とする。これは、集団に対する働きかけ(政策的科学)である。健康な人々と病気をもつ人々を比較して、なぜ病気になるのかを数量的に考え(疫学)、もしそれが分かれば治療だけでなく健康な人々に働きかけて疾病の予防ができるだろう(予防医学)、さらに健康な人々をもっと健康にできるのではないか(ヘルスプロモーション)、このようなことを公衆衛生学は考えている。

英語でいうpublic health and medicine

 Public Healthという言葉には3通りの使われ方がある。
1)人々の健康(衛生)状態そのもの(state of public’s health)
2)健康を守るための行政(公衆衛生行政)public health action (activities, management)
3)人々の健康についての研究(公衆衛生学)research on people’s healthである。

森鴎外の公衆衛生学

「公衆衛生」という言葉が一般的になるのは

 昭和13年に「国立公衆衛生院(現:国立保健医療科学院)」が設立された。しかし、言葉としては古くから存在し、森鷗外の著作にも見える。森鷗外が明治23年に書いた『公衆衛生略記』はあまり取り上げられないが、19世紀にいたるためでのPublic Healthについて要領よくまとめている。ここでは衛生学ではなく、公衆衛生について述べている。森鴎外は、『公衆衛生』とは自然学、医学、衛生学と行政学にまたがる分野として考えており、それに関連して、『英米人はこれを社会学の中に挟みたり、法律学の一部、国民理財学の一部、教育学などは総て此呼称の下にあり』と紹介し、医学・衛生学のみならず、理財すなわち経済も、教育も、社会学も公衆衛生あるいは健全学を構成するという思想はまさしく、境界領域的(interdisciplinary)なPublic Healthの思想そのものである。そのことから、森鷗外が公衆衛生という名称で語ろうとしたのは、現在我々が医学の一部として位置付けている公衆衛生学ではなく、包括的な健全学あるいは保健学(すなわちPublic Health)ということになる。

 ここで思い出したいのは、森鷗外は、衛生学は医学とともにれっきとしたexactな自然科学の一分野であり、『公衆衛生学』は行政学との境界あるいは複合体であって、応用的な一つの学であると考えていたということである。記憶しておきたいのは、森鷗外が健全学と呼ぶことに賛成していた「学」があり、それは衛生学とも違うことをはっきりと認識していた点である。

現代の日本語でいう「公衆衛生(学)」はあえて英語でいえば

 「公衆衛生学」はあえて英語でいえば、social medicineに相当すると考えるのが妥当であり、public healthは「保健学」と考えるのが適切であろうと考えている。それは、public health and medicineであり、他方は social medicine in medicineだからである。

 狭義の公衆衛生学は社会医学として医学の一部をなしている。こうしていくつかの概念がややこしく交錯するが、中身と枠組みとが必ずしも一致しないという事態があちこちで生じてくるのである。

 結論的に言えば、日本には戦前からの衛生学がありながら、横並びに公衆衛生学を導入した。戦後の医学教育体制の改革が混乱を招いたともいえる。むしろ、森鴎外が考えたように、衛生学あるいは社会医学は医学の中にあり、それと別に公衆衛生あるいは健全学が設置されるべきだったと言ってよいだろう。

社会医学と公衆衛生学

 かつて神戸のWHOセンターの初代所長に就任したボイチャク氏が「公衆衛生」と「社会医学」について述べている。

 「社会医学」は医学の多くの分野のうちの1分野であり、「公衆衛生」は医学と重なる領域は持っているが、医学とは別の分野である。したがって、公衆衛生には医学を専門としない専門家がいてよい。しかし、社会医学は基本的に医学研究であって、医学の社会的側面を担っている。そのため、医学部の中に必要なのだ、という論理で社会医学教室を存続させたということである。

 我が国の医学教育における公衆衛生学は、ボイチャク氏のいう社会医学と同等の位置にあり、その意味でPublic Healthとは概念を異にしていると言ってよい。現行の公衆衛生学は社会医学であると整理すれば、近年の我が国でPublic Healthについては専門職大学院などで独立して教育が進められつつあるのは、その内容を別として、良い方向であろうと思う。これについては英米における School of Public Health の教育の広がりを考えると妥当なことであろう。そのうえで、より健全な医療政策の提案などもできるようになることが期待される。

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