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アルゼンチンへ18000kmの旅<日本語版>

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”プロツアーガイド Sr.Jokoとブエノスアイレス散策”を、頑張って翻訳しました。まだまだ未熟者ではございますが…観光スポット、歴史、文化、習慣などなど、おもしろ情報いっぱいで… もっと読む
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[アルゼンチンの歴史より] 移民の時代

アルゼンチンでスペイン語の勉強をしていると「アルゼンチンの歴史や様子」などがテキストになることがある。これがサクッとした情報でまた面白い!。。。のでかる〜く訳してみました。スペイン語勉強中です。間違いはお許しください😊 <スペイン語原版>

アルゼンチン・フォルクローレ歌手 Mercedes Sosa

メルセデス・ソーサはアルゼンチン・フォルクローレの大御所・歌手です。 2021年は、アルゼンチンの民族音楽を見事に表現した歌手、メルセデス・ソーサの生誕86周年にあたりました。彼女の代表曲とアルゼンチン音楽への主な貢献について、ビリケンさんがお話しくれました。 メルセデスは1935年7月9日に生まれました。彼女は先住民(ディアギータ)とヨーロッパ人(フランス人)の血を引いています。アルゼンチンの独立記念日に、そして独立宣言の地であるサン・ミゲル・デ・トゥクマンで生まれました

アストル・ピアソラ様の伝記

こちらは1970年にアニバル・トロイロと一緒にレコーディングしたものです。 Su primera orquesta :ピアソラの初めてのオーケストラ(1945-51) ピアソラが演奏するトラディッショナルなタンゴです。 やっぱり上手い、バンドネオン♬ <スペイン語原版 >

Cabildo:カビルド

カビルドは、5月広場に面して建つ白壁の目立つ建物です。スペイン植民地時代に行政・司法の建物として建てられました。 当時、スペイン人による都市の設計は、中央広場を中心に、要塞、教会、カビルドの3つの重要な建物を配置することが一般的でした。 要塞(現在のカサ・ロサダ)  - 軍事権 教会(現在のメトロポリタン大聖堂) - 宗教権 カビルド - 市民権 現在アルゼンチンには5つのカビルドが残っています。 Buenos Aires、Lujan、 Jujuy、Cordoba、Sal

Plaza de Mayoの記憶-その4 : 五月広場の母たち や 祖母たち

Escrito por: José A. Napolitano Guía de Turismo registrado en el Ente de Turismo de Buenos AiresUniversidad Nacional de Avellaneda これまでの記事で、五月広場が、あらゆる種類の大衆的、政治的出来事、場合によっては悲劇的な出来事の中心地として重要であったことを述べてきました。そしてもう一つ、この45年間に2,300回以上も繰り返されているデモ運動が

サンタ・エビータの謎

「レコレタ墓地で感じた私の疑問:なぜエバ夫人とペロン大統領が一緒のお墓に居ないのだろうか???」ー この謎に Sr. Joko が答えてくださいました! ミステリアスなエビータの話は、連載ドラマにもなるようで。。面白そうです。。。 7月26日からだけど。。。”ST⭐️R+”って何だろう?(上の写真 広告) どこかのチャンネルかな?。。。アルゼンチンはTVのチャンネル数がとにかく多いのです‼︎ ハッキリした数は分かりませんが、60チャンネル以上あったのは確かです。それにプラス

Plaza de Mayoの記憶 その3:アルヘンティーノの愛国心

今回は、アルゼンチンにとって、非常に大きな傷となったテーマについてお話します。1976-83年、20世紀最後の軍事独裁政権の時に起きた出来事です。 五月広場には、「マルビナス諸島」までの距離を示す小さな道標があります。 「小さな」な道標なので、これが重大なことに関することなのかと不思議に思うかもしれませんが。。。レティーロ地区の広場に、主要な立派な記念碑があります。 道標に近づいてみると、島々のシルエットが見えてきます。 アルゼンチン沿岸から約500km、南大西洋に浮かぶ

Plaza de Mayoの記憶 その2:ディエゴ・マラドーナ

最近. この五月広場に多くの人が集まったのは、2020年11月26日、カサ・ロサダ(大統領府)で行われた元サッカー選手ディエゴ・アルマンド・マラドーナのお通夜です。 ディエゴ・アルマンド・マラドーナ とは。。 1986年 FIFAワールドカップ・メキシコ大会でアルゼンチン代表チームとともに世界チャンピオンになりました。 マラドーナは、サッカーが盛んな国では最も偉大なサッカーアイドルです。 だからこそ、大統領は、Covid -19のパンデミック(世界的大流行)の最中でも、

Plaza de Mayoの記憶 その1:ペロニスト党誕生

五月広場は市民にとって、とても重要な場所です。 ある日、この広場を訪ねていたら、突然遠くから拡声器が鳴り響き、やがて何万人もの人々が広場に集まってくるといったことが起きても不思議ではありません。 人々は政府に対する反対または賛成を示したり、何かを要求するために、この場所に集まりデモ運動をするのです。 また、何か重大な出来事を記憶するためにも、ここに集まります。 通常、このようなデモ運動は事前に計画されており、警察によって通りが封鎖されたり、デモ参加者の空腹に付け込み数ペソを

Plaza De Mayoの成り立ち(日本語版)

5月広場の成り立ちby Jose A.Napolitano ブエノスアイレス観光局公認ツアーガイド 国立アベジャネーダ大学 「ブエノスアイレスに初めてきた旅行者に一番最初に案内する場所はどこか」と聞かれたら、「Plaza de Mayo」と迷わず答えます。 この広場は、1810年5月25日に起こった革命にちなんでPlaza de Mayo「五月広場」と名付けられました。この革命はスペインから独立するための第一歩となりました。 この地の始まりは。。。 1580年7月11