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怪我

こんにちは、koheiです。依然としてコロナの状況は好転せず、光が見えない日々…それぞれに明かりを灯して前に進もうとしていると思います。

こんな時に怖いものの1つが

怪我。

厳密にはこんな時じゃなくても怖いですが、最近だと日本が誇るスーパースター大谷翔平が再度、右肘を痛めてMRIを撮り、靭帯の損傷(グレード2)だと診断されたようですね。これで今季の投手としての登板は絶望的だそうです。

想像できないほどの期待とプレッシャーを背負いながらも常に信じられないポテンシャルと向上心でそれらを倍にして見る者に還元し、度肝を抜いてきた大谷翔平。
何よりも素晴らしいメンタルを持っている選手ですが、先日の登板後はうなだれていてとてもショックな様子でした…

2年にも渡るリハビリ後でしたが、コロナの影響で最終調整のペースを上げざるを得なくなってしまったそうで、結果的にこの怪我を招いてしまったのではと言われています…

悲しいですね…。

相撲では横綱白鵬も右膝を痛めて休場。

最近は私の周りでも怪我をして手術をする方が多いです。皆さんそれぞれに一生懸命なのに、一生懸命だからこそ引き起こされてしまう怪我…

本当に身体を資本にしている方々にとっては怪我は永遠のテーマだと思います。

そして何を隠そう私は怪我の宝庫です。

現在も辛い痛みと付き合っています。

きっと多くの方が痛みと戦っていると思いますが今回は私の怪我記録第1弾を書こうと思います。



怪我の宝庫男、18で車椅子

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幼少期から兎に角身体を動かすことが好きで、全エネルギーを運動に捧げていたと言っても過言ではないような生活でした。
習っていたのは
サッカー⚽️
野球⚾️
水泳🏊‍♂️
体操🤸‍♂️
陸上🏃‍♂️
バスケ🏀…

殆ど全てですよね笑

幼稚園では度々高所から落ちて肘の脱臼を繰り返していました。

サッカーはとても上手くて(自慢)日本でもイギリスでも地区の選抜に選ばれる程😝😝😝

しかし左足で踏ん張ってシュートをする際、内股な私は捻挫を繰り返していました。若いから何となく痛くても数日休んでやってしまっていて、また捻挫をして…大袈裟ではなく50回は捻挫をしたと思います。
結局捻挫癖は直らず、現在も常に左くるぶしは腫れています。

7歳の時には交差点で車に激突。
飛び出したのは私です。
心配されたくない私は駆け寄る大人達を振り切ろうと
「大丈夫です。大丈夫です。」と言って逃げようとしたのを覚えていますが
(世にも珍しい「当てられ逃げ」)

警察も駆けつけて病院に。

セダンの車のフロントガラスはバキバキに割れていましたが私は検査の結果、
異常なし。
タンコブひとつと菓子折りでことは収束しました。

その後はロンドンで9歳の時に「うんてい」から落ちて右の手首と右の肘を同時に骨折。

漫画みたいな
「グキッ!」という音と共に骨はグッバイしました。
強がりな私は周りの心配が嫌で
「大丈夫!大丈夫だから!と言って駐車場の方に隠れるように向かい、車と車の間でうずくまって

「いってー(´<_`  )」

と悶絶していたのを覚えていますが、本当の恐怖はここから。
人生で1番痛かった瞬間が訪れます。
(これがあったから今、痛みに強い笑)

以下、刺激に弱い人にはお勧めしません…笑


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肘と手首をくの字に曲げていると楽だったのでその状態で病院のレントゲン室へ。
そして。
レントゲン技師によって
その折れた
曲がった
手首と肘を
レントゲン台の上で
力ずくで伸ばされたのです。

メキメキメキメキメキ!!!

「うんぎゃぁあぁああああ!!!!」

出産ってもっと痛いのでしょうか。

女性を無条件で尊敬いたします。笑

次に訪れた大きな怪我は中学2年から始まった両膝のオスグッド。

これも嫌な痛みでした。飛べないし痛いし。
普段は鈍い痛みなんですがひょんな事で膝をぶつけたり、オスグッドの存在を忘れて膝をついたりすると
キーーン!
という金属バットで殴られたような痛みが走りました。
しかしこれは成長痛の様なものなので2年ほどで治りましたが膝は出てしまっています。

この後17歳から人生を左右する大きな怪我に遭遇します。

バレエでは爪先を伸ばすのが必須すが、元々足首が硬い上に甲もなく土踏まずもなく、おまけに捻挫で動かない足なので毎日ピアノの下や、自動販売機の下に足を突っ込んでグイグイ伸ばしていました。
(これはかなりバレエ界ではコモンなやり方…)

更に正しく床を使って爪先を伸ばさず、指を丸めて力で頑張っていた私の足首に神様からプレゼントされたのは

三角骨

腱鞘炎

でした。
初めは伸ばすと「コクン」と引っかかる程度でしたが痛み止めを飲みながら踊っていると次第に酷くなり

遂には痛み止めは1日8錠、ハサミで腱を切り落とされている様な強烈な痛みで、つま先は全く伸ばせなくなってしまいました。

温まると幾分楽なので踊る1時間前からゆっくりと足首を動かして温めて、(というか無理に動かして痛みに慣れさせているだけなのでここがまた激痛)
その時期になんとか根性と、周りからの慈悲で日本のバレエ団に就職しました。

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入団前も後も、東京では勿論、全国の地方公演中も評判の良いとされる治療院に沢山通い、鍼を刺して動かしたり、鋭利な金属で力一杯押されたり、泣きそうになりながらあらゆる治療を試しました。

中には電極を直接足首に当てて通電するというぶっ飛んだ治療もありましたが、藁にもすがる思いでお願いしました。
治療は死ぬかと思うほどの衝撃、例えるならボールペンを足首にぶっ刺された様な痛み…
そりゃ通電、貫通ですから当たり前ですよね…
その日は痛くありませんでしたが、翌朝には元通りでガッカリしたのを覚えています。

最終的にはバレエに行ってもプリエの1番から2番のダンジュで「バコンッ!」と骨や腱が入ってしまい痛くて帰ったり、気をつけて歩いていても不意に入ってしまったり…そしてお風呂に入ろうと湯船に足を入れる動作をしたその時に

「バッコン!!!!!」

と入り、あまりの激痛に風呂場で悶え苦しみながら手術を決断しました。

入団後僅か2ヶ月です。

両足の足首の腱と腱鞘を切開して削り、三角骨を切除する予定でしたが、三角骨は取れるどころか手術中に割れてしまいました😭

かくして手術は終わりましたが、18歳のプロバレエダンサーなりたての私は2週間の車椅子生活がかなりショックでした。

痛みが取れるという喜びはありましたが予想以上に術後は何もできず、トイレもお風呂も1人では無理で、痛いし硬いし、お先真っ暗とまではいきませんがお先グレーな感じでした。

一筋縄では行かない術後、流石怪我の宝箱です。
手術の傷口にバイ菌が入ってしまい、熟れたトマトの様にパンパンに腫れた左足首。
溶ける糸を使って手術したので抜糸は無かったのですがその糸が溶けきらず更にバイ菌が入ってしまった様で、

強がって
「麻酔なしでいけます」
といったばっかりに、触れるだけで激痛の患部に容赦なくピンセットを突っ込まれて溶け残った糸を探す作業。
目が飛び出そうでした。
恐らく人生で1番目が大きくなっていた瞬間です。

その後は足首の後遺症と元々の硬さと戦いながらのダンサー生活になりましたが今回はここまで。

ザッと書いただけでも余りにも多い怪我。

一生懸命頑張って頑張るほど痛くなる患部。

休むことが下手くそな私には怪我はいつもそばにあります。

正しく要領良くやらないから怪我をする。

それはよくわかっていますが

素質がない者は身を削って命を削って進むしか道はない。

そう思っていました。

全てをきっちりと、安全に正しく、極力負担なく進めるには

知識と経験が必要。


それらを助言してくれる人がとても大切です。若く、何が正しく何が間違っているかの知識も余りなく、またそれらをしっかりと伝えてくれる周りのサポートが乏しい場合、質より量に傾いてしまうのは仕方がないのではないのでしょうか。

そういったことを考えて、現在私は自分の経験を活かすために、周りに還元できたらと思っています。やはり指導者、知識はとても大切です。

責任転嫁するつもりは有りませんが事実として、自分には余りにも情報が少なかった。情報を入れることも試しましたが、その重要性の理解が乏しく、結果として知識が足りなかったようです。
その重要性を説くのはやはり経験ある指導者でしょう。導いてあげなければ。

ひとえに自分の責任ですが自分は若い世代に自分の様な思いはして欲しくないのでこれからはもっとサポート出来ていければと思います。

次回は青年編!
痛々しい記事ですが最後までありがとうございました😊

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そしていつもサポートありがとうございます🙇‍♂️🙇‍♂️🙇‍♂️



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