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俳家の酒 其の四「獺祭」

 帰宅後、酔いの醒めぬままパソコンを開いた。俳句と俳諧の違いを知りたかったが、酔いもあってかよく分からない。
 そもそも明治になるまでは「俳諧」が幅を利かせていた。俳諧というものは、その名の通りおもしろみを追求するもので、十世紀ころに名を得た誹諧歌に語源がある。本来は、「俳諧の連歌」の中で発展してきたもので、句を幾つも詠み連ねたものを指すものであった。最初の句である「発句」は俳諧の要であり、俳人たちはそこに力を注ぎ、多くの名句を生み出している。
 しかし、異なる文化の流入が、それまでのおもしろみを陳腐なものに変えてしまった。正岡子規はここに登場し、過去の趣向を作為的であると断じて「月並」とし、「俳句」の世界を切り開いたのである。

 子規は、ことばを絵画に置き換えた。その試みは、夢想の中に閉じ込められた風景を、ことばによって眼前に再構築すること。ジャポニズムが広がりつつある海外と対をなすように、明治の文化人は西洋がもたらした「写生」を合言葉に「俳句」を捻り、異文化への接近を試みた。
 もっとも、伝統の壁は厚い。子規出現から百年あまり経過した現在でも、「月並」は排除されることなくむしろ増殖。現代に至っては、子規以前の「俳諧」と子規以降の「俳句」の間に境はなくなり、季題を含む五七五は概ね「俳句」の名で呼ばれる。
―――ネットで分かったことは以上であった。

 獺の祭も過ぎぬ朧月 子規

 その日、久しぶりに暖簾を潜った。酒のあては俳句。調べた子規のことを話すと大将は、「獺祭」の栓を抜いた。
「これは三割九分。子規を語るなら丁度いい。」
 大将の言うことがよく分からずポカンとしていると、
「調査不十分だな」
とニヤリと笑う。
 酒呑の間でものすごい人気を誇る獺祭は、低迷していた日本酒業界に変革をもたらしたことでも知られる。「三割九分」は入門編とでも言うべきもので、酒臭さを敬遠していた洋酒党にも、旨い日本酒として受け入れられているのだ。
 もちろん、それくらいのことは知っている。

「この酒には子規へのリスペクトがある。」
「子規は酒豪だったので?」
「いや、全く逆だ。たった一合で酔っ払って、試験勉強が出来なかったというエピソードもある。」
 そんな子規が獺祭誕生に一役買っているという。それは、一個の文芸家の枠にとらわれない巨人の足跡・・・

 果たして子規の句が芭蕉句ほど評価されているのかと言えば、そうではない。子規の後に続く数多の俳人と比べても、その表現力が抜きん出ているとは言えないだろう。
 子規の最大の功績は、枯れぬ情熱による歴史の見極め。唐の文学者に擬して「獺祭書屋主人」と号するほどの勉強力により、新たな時代の方向性を決定づけたのだ。つまり、古典の何たるかを追求し、西洋からの荒波に耐え得るだけの地盤を日本文学に付与したのだ。その業績は、過去を再評価する契機ともなった。
 俳諧と俳句のあいだに境界がないのは、ある意味で子規の功績だとも言えるだろう。古典の窓を風に向かって解放することで、本来なら瓦解したかもしれない古来の文化を昇華させ、守ったのである。

 純米大吟醸・獺祭は、そんな子規からインスピレーションを受けた酒である。子規の故郷に学んだ現会長は、不屈の精神をそこに育み、傾いていた蔵を立て直したのである。
 獺祭の人気は、フルーティーな旨みが支えている。しかし、その人気が定着した最大の理由は、日本酒の伝統を守りつつも科学的手法を積極的に取り入れたこと。結果、良質な日本酒を安定品質で提供することに成功し、ファンになった消費者を残念な気持ちにさせない。

(画像は蒲田バーボンロード|第4回 俳句のさかな了 其の五「男山」へ続く)*歴史解釈の一説としてご理解くださいませ


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