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右翼的な史観? 多面的な史観。

RN@日本いい国ね日本国旗@N95930194
美化だと言われないためにも、米国がー、南京大虐殺はなかったー
とか右翼的意見をこの場で言うのではなく、1日本人として、人間として
画像の彼らの名誉のために真実を広めるべきではなかろうか。
そういう右翼がわけばわくほど、結局戦争肯定化じゃん。という意見が出てしまう。
まずは広めようよ。

【真実】とは何だろうか?
この人物にとっては、学校の授業で習うような【東京裁判史観】からの視点からの【歴史】の見方が、【真実】となるのだろう。

歴史は、多面的で多くの人が生きた期間の時系列であり、それを未来の人間が、眺めるわけである。
未来の人間である我々が、他人の【過去】を知ることは殆ど判らない事が多い。多くの人間が関わった【紛争】などのような事案は、更に人数が増える文知ることが多くなり、知ることが出来ない【本人すら忘れている】ことすら存在する。
では、いったい何を以て【真実】とするのかは、もはや【哲学】的な世界に突入してしまい、現実離れしてしまう。

然しながら、映像や写真、文物、公文書、組織の日誌、個人の日記などから、少しずつ起こった出来事の【パーツ】を収集し、増えていくことで当時の【事実関係】等や【起こった事】が明らかになって行く。
戦争には、プロパガンダが付き物で、戦前【宣戦布告】を行って法的に主権国家及び主権国家群が、主権国家及び主権国家群に対する【戦争】を行うことは、否定されていなかったということなども【史料】を収集された結果判明している。
戦後、【戦争禁止】となり【宣戦布告】が存在しなくなった後も、数えるだけでも【紛争】と称する【戦闘行為】は数多ある。
では、【戦争禁止】はなんだったのかと言うことである。

ある【史観】から見れば、【右翼的】【結局戦争肯定】に見ることは出来るが、別の【史観】から見れば、【戦争行為】が戦後も全く同様に行われているので、【戦闘行為】は寧ろ戦後も【肯定されている】という見方も出来る。

歴史の事柄を見る場合、年代や場所、文物の性質は、客観的に【知ること】が出来るが、それに対する【史観】は、【立方体】のように、ある方向から見れば、隠れている面は見ることが出来ない。
ならば、どうすればよいかというと【角度】、すなわち【史観】を変える必要がある。

そもそも【戦死者】対する【敬意】を撮しているものが、【右翼的】【戦争賛美化的】と考える方が、偏った【史観】からの【評価】に過ぎない。
過去の事柄を多面的に見ると言うことは、【角度】を変えるべきである。
米国ガー、南京大虐殺ガーというには、それなりの【史観】からの【評価】があるので、それを【否定】するのではなく、欧米に対しても堂々と説明できる程の【知識】を有したらよいだけである。

自分の知っている【史観】が【絶対的】【唯一】ではない事であるということは、せめて有意義な議論をする上で認めるべきであろう。

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