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公立学校が嫌なら、私立学校へ行け?


はじめに

大学の先生と私が興味がある教育の分野について話していると、「日本の公立学校では出来ない」と言われたことがある。
全てができる学校であるべきだとは思わない。
しかし、以前にも取り上げたように、不登校がいるということは学校が対応するべき課題があるということだ。

上記の記事でも述べたとおり、私は不登校問題を解決する責任は学校にあると考えている。

公立に合わない

当然だが、義務教育9年間の公立学校の授業料は徴収されないと憲法に定められている。しかし、公教育の費用は国民が収める税金で運営されており、実質的には多くの保護者は納税者となって公教育の授業料を支払っていると言えるだろう。
国民が私立学校を選ぶ権利はあってもいいと思うが、公立学校に合わなくて通えない児童生徒がいて且つ対応ができない学校は公教育として相応しくない。

私立学校を選ぶ権利

前述の通り、私立学校を選択する権利を否定はしない。
私立学校が独自で行なっている教育に賛同して子供を通わせたいと思う保護者のニーズをより満たせる場があることは重要である。
キリスト教系や仏教系などの宗教教育を学校で行なってほしいというニーズもあるだろう。
公立学校には国が定めた目的に合わせた教育があるが、私立学校は法律に基づきながら多少自由に児童生徒の育成ができる。
しかし、それはあくまで前向きな選択によって通う学校の選択肢である。
公立学校に適応できない児童生徒が追い出されて行くべき場所ではない。

「学校が嫌なら行かなくてもいい」

義務教育過程において、公立学校に通う権利は保障されているが、公立学校に安心して通える環境は保障されているだろうか。
令和4年度には小中学校の不登校件数が過去最多の約29万9千件となった。
「学校が嫌なら行かなくてもいい」と言われるようになったことで過去最多の件数となったが、以前は学校に行きたくない児童生徒も保護者によって無理矢理学校に行かされていたことが推察される。
そもそも、公立学校が「行かなくてもいい」と言われるようなもので良いのだろうか。
利点よりも欠点の方が多いと考えている人がいるから、「行かなくてもいい」のではないだろうか。
確かに、重大な精神的ストレスを感じて自殺に追いやられる危険性があるなら、行かない方がいい。
しかし、これなら国民に保障されたはずの義務教育が言葉だけのものとなってしまう。
これでいいはずがない。

おわりに:公教育のあるべきすがた

不登校に関して寛容になったことで学校に居場所が感じられない児童生徒が不登校となり、結果として不登校児童生徒が過去最多ということであろう。
社会の変化が、隠れていた問題が明らかとしたのだ。
公立学校が全ての児童生徒にとって最高の場所であるのは不可能であると考えるが、最低でも全ての児童生徒が通える場所である必要はある。
その最低な基準を現在の公教育は満たしていない。
まだフォロワーが少ないブログではあるが、声を上げ続け、賛同者を増やしていきたい。
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また、反対意見を持つ方は、その意見をコメントしてほしい。

参照

(文部科学省「令和2年度不登校児童生徒の実態調査 結果の概要」https://www.mext.go.jp/content/20211006-mxt_jidou02-000018318-2.pdf )


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