ジョニーさん

・教育学研究者を目指す普通の田舎の大学生 ・アメリカの大学の教育学部に1年間留学したこ…

ジョニーさん

・教育学研究者を目指す普通の田舎の大学生 ・アメリカの大学の教育学部に1年間留学したことで、教育学の魅力に出会う ・留学中は特別支援教育を専攻 ・卒業論文はアメリカの特別支援教育について ・卒論から漏れている考えをここに書きます

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不登校問題×インクルーシブ教育

はじめに:障害児教育×インクルーシブ教育近年、文部科学省は「インクルーシブ教育」を推進している。 当記事では、「インクルーシブ教育」と「不登校問題」との関係についての私の考えを述べるのだが、読者は『インクルーシブ教育』や『インクルージョン』の言葉を聞くと、何をイメージするだろう。 多くの人は、「通常学級で障害のない児童生徒が障害のある児童生徒が共に生活や学習を行う教育」と答えるだろう。 しかし、英語のInclusiveやInclusionは「障害」を含む意味を持つ語ではない

    • どこにでもある特別なニーズ

      はじめに筆者が通う大学は、決して偏差値が高いとは言えない大学である。 そんな大学には高等教育機関とは思えないほど難易度が低い授業があるが、そこにも理解が不十分で単位を落としている学生が多くいることに気が付く。 そのような学生の課題を完了する支援を友人として行ったことで、特別なニーズがどこにでもあることを知り、その支援が求められるべきだと考えた。 その経験と考察をここに綴る。 特別なニーズを持つ先輩今学期、英語の授業を履修した。 筆者は英語科の教員免許取得に必要であるから履

      • 公立学校が嫌なら、私立学校へ行け?

        はじめに大学の先生と私が興味がある教育の分野について話していると、「日本の公立学校では出来ない」と言われたことがある。 全てができる学校であるべきだとは思わない。 しかし、以前にも取り上げたように、不登校がいるということは学校が対応するべき課題があるということだ。 上記の記事でも述べたとおり、私は不登校問題を解決する責任は学校にあると考えている。 公立に合わない当然だが、義務教育9年間の公立学校の授業料は徴収されないと憲法に定められている。しかし、公教育の費用は国民が収

        • 「聖書」から「特別支援教育」を考える

          はじめに筆者はキリスト教徒である。 当記事の内容は、アメリカ留学中に筆者が教会に通いながら、聖書の御言葉を用いて専攻の特別支援教育について考察したものである。 なお、当記事は筆者の考えを紹介するもので、キリスト教の教えを宣教するものではない。 また、前提として宗教と教育実践は分離されるべきであると考えている。 100人中1人の特別なニーズまず、「迷い出た羊」のたとえという有名な話がある。 それは、特別ニーズをどう捉えるかを示していると筆者は考える。 100匹の羊のうち迷

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        不登校問題×インクルーシブ教育

          インクルーシブだった

          はじめに文部科学省は、「(障害のある児童生徒の)インクルーシブ教育」を推進している。 筆者自身の経験から、それには可能性があることを知っている。 しかし、同時に困難があることも知っている。 小学生当時の経験から、インクルーシブ教育がどうあるべきなのかについて筆者の考えを述べる。 インクルーシブだった脚が不自由で同級生Kちゃんと小学2年生の時に同じクラスになった。今思えば、軽い知的障害も持っていたいたようだ。 平成22年当時は特別支援教育の制度が整っていなかっただけだが、誰

          インクルーシブだった